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07 05
2005

国家と文明の優劣論

序列と差別をうみだす生物学・人類学について


 人間は知識や学問に真理や客観性など求めていないのだろう。なにが優れていて、なにが劣っていて、序列はどうなっているのか、ということだけを知りたいのではないかと思う。

 学問には分かちがたく価値序列の問いがこめられていて、私たち一般人はそこから優劣価値の配列を知るのだろう。

 たとえば生物学なんて「人間」や「知能」を頂点におく考え方が根底にあり、罵り言葉があらわすように、「単細胞」や「ケダモノ」「サル」「ブタ」といった生命は下等なものだとされる。全生命は人間の知識によって優劣ランクが決められるのである。

 人類学では劣った類人猿から高等なホモ・サピエンスに進化してきたとされる。類人猿は人類にくらべて劣っているという価値基準を付与されるわけである。その前提にあるのは知能や文明、あるいは道具や言語の使用を最高価値におくドグサがあるわけである。

 そういう最高価値は無条件に最高なものなのかと問われることがあるのだろうか。そして最上なものをつくってしまうがゆえに序列やランクができ、侮辱や差別、ときには暴虐がくりひろげられるのである。

 人類学では西欧文明を文明や知能という基準で最高な価値と前提にしてしまったから、人種差別がおこり、植民地支配が正当化され、虐殺や絶滅政策までおこなわれたのである。

 われわれの知識というのは知らず知らずのうちに優劣基準を求めてしまうものである。なにが優れていて、なにが劣っているか、自分たちの無条件の最高価値という基準によって裁断されるのである。

 そしてその暗黙の前提が問われることはまずない。その暗黙の前提というのはたいがい自分たちに好都合なもの――つまり自分たちが最高度にランクされる自己中心的な基準を採用するものである。あとは武力の後ろ盾があれば、だれにも文句はいわれない。

 学問や知識が客観的科学とよばれるためにはまず無前提にある優劣基準というものをすべて抜き去らなければならないだろう。それは科学とよばれるものではなくて、たんなる偏見と優越欲望でしかない。学問というのはその歴史を見ていると、この前提すら抜き去っていないように思える。

 優劣価値という人間が無前提に持ってしまう欲望――これこそ知識や学問を求める前に問われなければならないさいしょの問いではないだろうかと思う。


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Comment

すべては素粒子でできてるのに差別は無意味なのに
皆忙しくて、地方やと情報弱者でマスコミ鵜呑みにしてるんじゃないですか
悲しいですね
マスコミの裏を皆が知るようになったらいいなと思う
そして今も世界中でマスコミに流れないだけで途上国新興国の奴隷児童労働や中東や人身売買等で存在を知られず消えていく命が無数にあるのだ 泣きたい
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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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