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07 22
2018

幻想現実論再読

悟りの誤解の森――『仏教思想のゼロポイント』 魚川 祐司

4103391715仏教思想のゼロポイント:
「悟り」とは何か

魚川 祐司
新潮社 2015-04-24

by G-Tools


 仏教の悟りとはどのようなものだろうか。日本では道徳的な人格の完成のように思われているが、まったくちがう。仏教はたくさんのことが語られすぎていて、寺院にはもちろん悟りのことが簡明に書かれているわけではなくて、たいがいの人は真の目的を知らないだろう。

 この本はそんな誤った認識のもとにある仏教の真の目的、悟りを、ブッダが語ったことを手掛かりにたどる旅である。著者は79年生まれの若い人で、ミャンマーでテーラワーダ仏教を研究している人である。

 twitteアカウントで、ニー仏という名前でツイートしてて、著書よりtwitterで先に知った人である。二次元のエロ画像をリツイートなどしているが、禁欲的な仏教というイメージにも挑戦したい人のようである。仏教徒というより、研究者でいたい人のようである。

 わたしは悟りというのは、トランスパーソナル心理学やケン・ウィルバーの変性意識といった言葉で知ったので、神秘思想的な理解である。宇宙や世界との一体感を感じる超越意識である。仏教でぼんやりと聞いているだけでは、ほんと悟りの内実はつたわってこないだろう。

 現代の坊さんの本を読む人の仏教理解と、おおむかしの大乗仏典を読む人では、仏教理解はおおいに異なってくるだろう。歴史としての仏教を学んだ人もずいぶんとちがうだろう。仏教の段階的なカリキュラムといったものが普及しているわけではなくて、みんなたいそう理解が異なっていることだろう。宗教という理由で、いっさい手にふれない人の理解も、またずいぶんとちがうだろう。

 この本でブッダの悟りは、分別や言語が立ち上げる物語世界から離脱することとなっているのだが、縁起とか輪廻とか、解脱とか古い言葉が、簡明な理解の道を遠ざけていると思う。

 わたしはこれは、言語の問題に絞り込めるのではないのか、サピア・ウォーフ仮説に近いのではないかと思うのだが(カスタネダでは「トナール」だ)、そういう言語の幻想という断面が、仏教の森林からよく聞こえてくるわけではない。

 仏教の悟りとは、言語が立ち上げる世界像や物語からの離脱である。それが幻想や虚構、非実在であることに気づくことである。大乗仏典でそういうことが語られているのはそう多くあるわけではないので、仏教のジャングルの中でなにを探しているのか、わからなくなるのはふつうにあることだろう。

 禁欲とか人格の完成と思っている人は、仏教をたいそう嫌うだろう。欲望の達成や成就が、現代人の生きる目的なので、とうてい禁欲仏教はうけいれることができない。認識の転換だといえば、仏教はうけいれられるのだろうか。

 やっぱりブッダが語った古い専門用語ではなくて、現代神秘家の語った思想のほうがよほど理解しやすい。ラジニーシ、クリシュナムルティ、ケン・ウィルバー、ニサルガダッタ・マハラジ。仏教は、言語がもたらす認識の過ちを指摘したものだ。そう理解したときに、信仰でない仏教の有効な参照できる知識が見えてくる。



講義ライブ だから仏教は面白い! (講談社+α文庫)悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 (幻冬舎新書)自由への旅: 「マインドフルネス瞑想」実践講義誤解された仏教 (講談社学術文庫)無境界―自己成長のセラピー論


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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