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07 11
2018

幻想現実論再読

言語のマヤカシに醒める――『一休道歌 』 バグワン・シュリ・ラジニーシ

4839700362一休道歌 上
バグワン・シュリ・ラジニーシ
めるくまーる 1987-08

by G-Tools

4839700370一休道歌 下
バグワン・シュリ・ラジニーシ
めるくまーる 2000

by G-Tools


 ご無沙汰しております。この本を読むのに一か月もかかりました。上下巻1400ページにおよぶ大著で、ソフトカバーのしなり具合がとても好きな本で、再読にはけっこう時間がかかりました。

 ラジニーシはまったく正しいことをいっていると思う。宗教や怪しいものというイメージをもつ方がいると思うが、読み返してラジニーシはまったく正しいことをいっているのだと思う。やさしい言葉で、これだけのことを語れる神秘思想家はそういないと思う。

 ラジニーシはキリスト教のような言葉で神をあらわされるような宗教は否定する。言葉で表現されるものをすべて否定するのが、ラジニーシであり、禅であり、一休である。だから、あの世とか霊魂のような概念で語れるものはすべて否定する。ではそういうなら宗教ではないといえるのだが、まさしく宗教の核心は、いっぱんの人がイメージする宗教とまったく違うものだ。言語や概念の否定こそ宗教だ。

 ラジニーシや一休は、言語でつくられる世界をとりはずすことをめざしている。わたしたちは、言語でつくられた世界に耽溺しているのだが、そこから外れることは、おそらく一生ない。言語をとりはずすというのも間違いなのであって、正確にはそれが幻想や存在しないことを自覚することこそが、終着点である。そのことがどうして宗教という衣をまとわされたのか、わからない。とはいえ、ラジニーシは究極の状態を、「神」とは表現するのだが。

 わたしたちは、言語に理性や知性の賛辞をおくり、それがなくなることはケモノや無知、白痴に落ちることだと禁忌を張る。たしかにそうなのだろうが、言語がつくりだす世界はあくまでも砂上の楼閣や幻想であって、げんじつに存在するものではない。わたしたちはこの点を見抜けずに、言語の構築世界に耽溺しつづける。それを夢を見ていると覚者たちはいってきたのである。

「心は一度も見出されたことがない。見た者たち、彼らはつねに心が存在しないことに気づいた。

心(マインド)がなければ、光明を得るものは何もない、光明を得るものはいない。もし心がなかったら、幻想がなかったら、幻想からどうやって抜けだすね? もし心がなかったら、どのようにして心を超えた何かになるね? もし心が存在しないとしたら、では、人は無心を達成しなければならないと言うことに何の意味がある?

心それ自体が存在しないのだ…。

エンライトメント(光明)とは、心が存在しないことを見抜くことだ――。」



 わたしたちは心があると思っているし、言葉がげんじつにあるものだと、あたりまえのように思っている。それを疑うこともない。禅や神秘思想が問うのは、それがげんじつに実在するのかということだ。それが存在しないこと、空っぽであることを、覚者は気づくようにうながす。

 でも人はこれがむしょうに恐ろしい。わたしたちは人生が無になること、自分の生が無価値になることを恐れる。空っぽになくなることなんて、見たくもない。だから記憶で、言葉で、人生の、自己の価値をつくりあげはじめる。そうなったら、無や空っぽの内奥から逃走しはじめる人生を賭けた奮闘がはじまる。

 人々が神やあの世を問うのは、人生の無価値を感じたがための恐怖だからだ。言葉でその恐怖をうめたがる。そして言葉で人生の、自己の価値を構築しつづける。空っぽや無を説く宗教には、だれも近づきたくない。だからぎゃくに宗教は、言葉で与えられるセラピーとなって、ふたたび言葉のセラピー空間をつくりだし、それが宗教とよばれる。ラジニーシや禅はこの幻想をはぎとる。

「だが、深く見守れば、あなたの思考すべてが、あなたとあなたの生を創りだしていることがわかる。それらがあなたの地獄を創りだし、あなたの天国を創りだす。それらがあなたの惨めさを創りだし、あなたの喜びを創りだす。それらが否定的なものを創りだし、肯定的なものを創りだす。いずれも幻想だ――苦痛と快楽、甘美な夢と悪夢、いずれも幻想だ。

あなた以外にあなた自身を苦しめている者は誰もいない。あなたの他に誰もいない。あなたの生全体が、あなたの作品、あなたの創造物だ。

そして覚者とは、その真実を、自分が自分の世界の創造者であるという事実を見抜き、それから退いた人のことだ。彼はもう創造しない。仏陀のような人は世界を持たずに、ここで、この世界で生きる」



 わたしたちは、言葉で、思考で、世界をつくりつづけている。思考は、煙幕のようにわたしの頭を覆いつづける。それが幻想や、存在しないことに気づくことは、ほぼない。言葉が、思考が、現実やじっさいにあるものと勘違いしつづけ、それを疑うことは皆無である。そして、その自分でつくりあげた世界像の囚人になる。人はこのことにいっさい気づかない。しかも疑いを与えてくれるのは、愚かな神の信仰をもつ宗教だけときている。言葉の世界像を構築しつづけ、言葉の夢を見つづける。

 ラジニーシはこのことを指摘しているのであって、言葉で神やあの世の概念をつくりだす宗教を擁護しているわけではない。まったく否定している。たいがいの人に届く宗教は、言葉で神やあの世の安心を送りとどける言語のセラピーである。

 言語で構築される世界のことを問題にしているのであって、わたしたちは言語の世界の外に出れることはほぼない。そしてそこにたどりつくには、いかに多くの煙幕や禁忌が張られていることか。神秘思想を言語の問題として、とりあつかってください。


究極の旅: OSHO 禅の十牛図を語る般若心経―バグワン・シュリ・ラジニーシ、色即是空を語る禅宣言無水無月ダンマパダ―永遠の真理


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Comment

oshoラジニーシも、ラマナマハルシも、ニサルガダッタも、覚者は皆、心の不在を説いたというところが興味深いですよね。言語の罠にはまる西洋哲学では人は観念の牢獄、言語の牢獄にハマり、過去にとらわれ苦しみ続ける。禅とマイスターエックハルトといった神秘思想家の良さがもっと広まって欲しいですね。黄檗禅師の伝心法要も唐代禅の鋭さも好きです。一瞬で言語を落とすことを説いています。
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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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