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05 25
2018

幻想現実論再読

中国禅をざっくりと――『禅思想史講義』 小川 隆

4393138023禅思想史講義
小川 隆
春秋社 2015-07-16

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 禅というのは、とっつきにくいのかな。読む本を選びにくいし、むかしの禅僧の話も知らない。現代では鈴木大拙の本が読まれたり、岩波文庫では『無門関』や『臨済録』が出ていたりする。日本の禅僧では、一休や沢庵、道元くらいが知られているだろうか。中国の禅僧などさらに知られていない。

 この本は四章のうち、三章までが中国の禅思想をざっくり紹介されているから、ほぼ中国禅の紹介の本といえる。第四章はおもに鈴木大拙の章である。日本の禅僧はほぼすっ飛ばされている。

 初期の禅、唐代の禅、宋代の禅がおもに紹介されている。

 初期の禅は、頓悟と漸梧の論争がおこり、北宗と南宗にわかれた。頓悟は一時にすべてを悟ること、漸梧は段階的、斬進的に悟ってゆくということ。禅は頓悟がおもなイメージだが、思考の反復は習慣となっているので、この自動習慣はすぐには止めることができないとわたしは思うが。

 唐代の馬祖は、自分の心がすなわち仏であるから、修行もする必要もないと説いた。その批判を巻き起こしたのが、石頭の禅である。

 宋代では国家の制度にくみこまれてゆき、学校のようになってゆき、公案で修養度が見られるようになってゆく。文字禅と看話禅があり、禅理の解明と、体験的な頓悟にわかれる。

 第四章では鈴木大拙にまで飛び、西田幾多郎が同じ年の金沢生まれの学友であり、生涯親友であったことを知る。夏目漱石も修行時の大拙に出会っており、小説『門』のモデルになっていたりする。

 わたしとしては、禅の言語の徹底的否定には感服するが、言葉でなにも説明しなかったらなにも伝わらないで同じ過ちにおちいったままだし、だけど言葉を駆使しすぎることは、言葉の虚妄の世界に閉じこまめれることだと思う。この間の中で、いかにバランスをとるかが、悟りへの道だと思う。

 というか、わたしの禅の理解は、ラジニーシやケン・ウィルバー、クリシュナムルティ方面からの理解であって、それがどれだけ禅と重なり、異なるのかも、正確を期していないだろう。


禅宗の歴史 (読みなおす日本史)禅の歴史禅とは何か―それは達磨からはじまった (新潮選書)禅の思想とその流れ (ぼんブックス)日本禅宗の伝説と歴史 (歴史文化ライブラリー)


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