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04 28
2018

幻想現実論再読

まるで仏教のような語り――『社会構成主義の理論と実践』 K.J. ガーゲン

4888488649社会構成主義の理論と実践
―関係性が現実をつくる

K.J. ガーゲン Kenneth J. Gergen
ナカニシヤ出版 2004-06

by G-Tools


 「言葉が現実をつくる」といった社会構成主義は、これまでの言葉は「事実」を写実的に写し出すことができるという近代・モダンの科学観にゆさぶりをかけ、真理や客観を問題にするのではなく、その言葉でつくられた現実をより良いものにしようという姿勢をみちびく。真理に拘束されて、なにもいえなくなり、抑圧されることは有効性をうしなう。

 ニーチェの権力の意志論や大きな物語の終焉のポストモダンの継承者が、社会構成主義になる。ガーゲンは本書の中で源流を、ヘーゲルやコンディアック、フランスの観念論者、バーガー・ルックマンの『日常生活の構成』やトーマス・クーンの『科学革命の構造』、ピアジェ、現象学的社会学、象徴的相互作用論、ヴィゴツキー、シュッツなどに求めている。

 「言葉が現実をつくる」という指摘はニューエイジや東洋思想にもいわれてきたことであって、禅は言葉自体を捨てることによって安楽と悟りの次元をめざしたのだが、社会構成主義は顕著に言葉の非実在性にはかたくなにすすもうとはしない。言葉は制度や自己を支える基盤なのであって、その上に構築された責任主体や民主政治といった社会の屋台骨もゆらぐ恐れがつよいのかもしれない。

「むしろ、テイラーも言うように、自己を語る言語――自己の道徳性を語る言語を含む――は、「道徳の源泉」である。それなしには、主体としての人間は成立しない。「自己を語る言語を捨てるということは、人間としてのまとまりを捨てること、主体としての人格を捨てることに等しい」



 思考を捨てる教えにたいする拒否感が、そのまま表されたような言葉である。言葉や思考は自我を支える。手放すことなんてできない。しかしそれが東洋思想がいうように幻影の苦悩や苦痛をもたらしているとするのなら、その苦痛をもともに維持してゆくべきなのだろうか。

 本書の言葉の使い方はかなり難しくて、これでは社会構成主義は広まらないだろうなといったような文句をいいたくなるくらいだ。それでガーゲンはのちに一般向けにわかりやすく説いた『あなたへの社会構成主義』という本を書いている。語り口はやさしくしているのはわかる本だったが、やはりそれでも議論はむずかしかったのではないだろうか。

 というか、わたしは言語がつくる現実をさっさと捨てろという東洋思想的立場なので、社会構成主義の議論がまどろっこしくて、あまり学ぶものがあるとは思えないのだけど。

 社会構成主義の批判に答えるという章に、「社会構成主義は現実世界への関心をすべて放棄するのか? 「しかし、世界は実在する」」という問いへの返答があるのだが、これはまさに仏教僧も問いかけられてきた疑問である。坊さんは、この世界が幻想というならと、トラに追いかけられたりした。

「まず、社会構成主義は、爆発、貧困、死を否定しないし、より一般的には「世界の実在」も否定しない。しかし同時に、社会構成主義は、それらの実在も肯定しない。先に述べたように、社会構成主義は、「それは実在するのか」という問いには沈黙する。それがいかなるものであっても、ただそれだけのことだ。…しかしながら、「そこに何があるのか」を明示化しようとした途端、われわれは言説の世界に入り込むことになる。…そして、こうしたプロセスが始動すると、言語が実体化される」



 まるでおシャカさんや仏教僧のような答えである。だが、禅の立場からすると、社会構成主義は空語をずっと費やしつづけているように思える。

「実際には、心理言語が個人内の実際の状態を反映し、描写し、言及するという前提は、様々な心理状態を物象化しているからこそ成立する。すなわち、物象化によって、言語が指示しているように見える対象が、実在している(存在論的実在)かのように扱われている。あるいは、別の言い方をすれば、言語があたかも明確な心理状態を指示しているかのようにみなすことによって、人は、見当違いの物象化という錯誤に陥っている。すなわち、人は、能記があるからには、それに対応して、具体的な対象があるはずだと思い込んでしまっている」



 まるで仏教や神秘思想のそのものの語りであり、これこそが言語が根本的に抱える問題である。だから仏教やそんな幻想や夢から目を醒ませというのだが、社会構成主義は、研究書のように言葉の現実を――幻想を組み立てつづける。

 社会構成主義は、仏教や神秘思想と対話してほしいと思うほど、同じような事柄を語っているのだが、本書ではそのような知識群はひと言もふれられていない。

 社会構成主義は、「関係性が現実をつくる」ともいっているのであって、個人や個人の心というものも、「社会的構成の産物」だとみなす。わたしたちは個人といった確固たる主体があるのではなくて、「社会的制度の産物」だといった批判もおこなう。神秘思想がいうのなら、人間は機械だといった言葉に相当する。わたしたちは社会に訓育された心を社会的に植え込まれているのである。

 社会構成主義は、精神医学も写実理論の批判から見るようになるので、真理を外された心理学言説をもそれがもたらす社会関係を、第三者的にながめるようになる。セラピーの社会学のような目線である。言葉は真理を写実的にあらわすことができると思いこまれているままなら、その言説に権力性にわれわれは抗えないのである。

 もうすこし社会構成主義をさぐってみたいと思う。


現実の社会的構成―知識社会学論考科学革命の構造あなたへの社会構成主義生活世界の構造 (ちくま学芸文庫)現象学的社会学 (文化人類学叢書)


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