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02 05
2018

幻想現実論再読

直接体験だけの言語――『ピダハン』 ダニエル・L・エヴェレット

4622076535ピダハン
―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ダニエル・L・エヴェレット
みすず書房 2012-03-23

by G-Tools


 魅力的な本である。著者が三十年にわたって、アマゾンの未開地に家族とともに放り出されて、文明から引き離されて生きることの冒険譚として大半をたのしめ、読後にYou Tubeで映像を見ると、まるで旧友に出会うかのようなうれしさがこみあげてきた。

 飛行機でピダハンの村までピンポイントで運ばれてきたのだが、妻と子どもがマラリアにかかったとき、町の医者にかかるまでの何日もの船での川をさかのぼる記録にも一章が割かれていて、この伝道師一家の災難とゆくえはどうなったのかと気になるのだが、その三十年後にはダニエルが信仰を捨てたことにより、家族は崩壊、子どもたちは苦しんでいるという映像を見て、ひじょうに残念に思う。

 この本は言語学の権威チョムスキーの「普遍本能」や、ピンカーの「言語本能」というこんにちの定説と衝突するから、注目されているといわれているが、反物質的なニューエイジの人生を生きているともいえるので、そちらの方面からも注目されるのだろうね。

 ピダハンたちは、視界から消えて、視界から見えることに大喜びする。飛行機がきたり、川の向こうから人がきたりするとき、かれらが注目するのはその人物ではなくて、視界から消えるか見えるかなのである。ピダハンの言語は、直接体験だけを言葉にする。

 まるで赤ん坊の「いないいないばあ」なのだが、大人になるとその驚きを忘れて、目に見えなくなる人や景色の驚きをなくして、定常的にまた会える、または想像で満たすことになんの疑問ももたなくなる。存在しなくなることと存在することの境界を、現代人はかんたんに見失うのである。

 この直接体験を超えてはならないという言語の制約をもつために、ピダハンは心配や恐れをもたず、たいへん幸福に生きることができる。恐れや心配というのは、過剰な想像力のことであり、それをつくるのは言語である。この言語を断つことにより、ピダハンはたいへんに幸福に生きられているといえる。まさにニューエイジや禅の生活の実践言語である。

 数の概念ももたないというが、数というのは抽象語である。抽象に人の頭がさまよいだすと、よけいな心配や不安を抱え込むことになる。神の概念もないし、創世神話もない。目に見える人の話しか信じず、直接体験をこえる事柄は、闇に消えてゆく。ただし、悪霊はかれらには現実に見えるものであって、この整合性は欠けているが。

 ピダハンは、ニューエイジや禅の「いま・ここ」だけの生活を、言語面から制約しているといえる。それをあらわす言葉がなければ、それは存在しない。過剰な心配や恐れをあらわす語がなければ、それだけその恐れは抑制される。現代人はたくさんの伝聞情報を真にうけて、膨大な情報の実在に恐れや不安を抱かされているのだが、目の前の人の話しか信用しないピダハンは、そういう恐れをさいしょからシャットアウトしているといえる。

 ピダハンは断固として実用性に踏みとどまる人で、天国も地獄も信じない。大義も認めない。正義も神聖も罪もない世界である。自分たちが知らないことは心配しないし、心配できるとも考えず、未知のことをすべて知りたいとも思わない。伝道師だったダニエルはこういったピダハンの中で暮らすうちに、神の不在になんの抵抗もなくなった。ただし、それを告げるのは二十年もかかったというし、家族は信仰問題で崩壊したといえるので、家族にとって信仰とは強固すぎる世界であったのだ。

 ここまで書けば、ピダハンはなんの悪意も敵意ももたない平和で純朴な民族と思うかもしれないが、ダニエルの家族は三回ほど、ピダハンの人たちに殺されかかっている。本に書かれていることは、ピダハンの妻たちに頼まれた禁酒の願いを、夫たちに逆恨みされて、交易業者にもそそのかされたこともあって、ダニエル一家を殺すということになった。おれたちに指図するなという話によって収まったようだが。

 性も乱交的である。伝道師の道徳観とどんなに抵触したことか。人の生き死ににも、自分の困難に立ち向かえないものには冷酷であって、難産をむかえた女性はみんなに放っておかれて命を落としたこともあったし、母を亡くした幼児にも情け容赦はない。自然の過酷さは、かられのルールでもある。ただ、あるがままを受け入れるしかない。マラリアにかかった家族を町の医者までつれてゆけるダニエルのような文明の伝手はないのである。

 第二部になるとかなり専門的な言語学の話にがらりと変わるが、冒険譚を期待している人にはちょっとついていけないかも。

 ピダハンには派手な創世神話や大げさな儀式がなく、注目を浴びることのないひっそりとしたアマゾンの原住民であるはずであった。でも時代がなにももたないことをよしとする反物質文化、ニューエイジの方向に向かっていることから、注目を浴びることになった。かれらは未来を生きているのでしょうか。



▼読み終わったあとに見ると、旧友に出会えたような感激を味わえます。
地球ドラマチック 2014年 『 "ピダハン" 〜謎の言語を操るアマゾンの民〜 』 43分



もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス)言語が違えば、世界も違って見えるわけ言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)生成文法の企て (岩波現代文庫)言語・思考・現実 (講談社学術文庫)



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