FC2ブログ

HOME   >>  幻想現実論再読  >>  言語上でのセラピー――『ある巡礼者の物語』 イグナチオ デ・ロヨラ
01 16
2018

幻想現実論再読

言語上でのセラピー――『ある巡礼者の物語』 イグナチオ デ・ロヨラ

4003382021ある巡礼者の物語 (岩波文庫)
イグナチオ デ・ロヨラ Ignacio de Loyola
岩波書店 2000-02-16

by G-Tools


 わたしは言語をそぎ落として、フィクションをはいでゆくのが、宗教の原点だと思っているのだが、キリスト教においては、その言語フィクションを可能なかぎり活用しているので、これが言語否定の代わりになるのかという興味がある。

 宗教学者は、それを「覚りの宗教」と「救いの宗教」に分けているのだが、たとえ言語がフィクションをつくるとしても、その言語上でたしかに安心や癒しをもたらすこともある。死を恐れていたらあの世があることの安心感や、自己を責めつづける人が自己を神に委ねる安らかさとか、たしかに言語上でのセラピーはあるわけだ。ただ、これが言語ゼロの「覚りの宗教」のどこまで代用品になるかだ。

 このイグナチオ・デ・ロヨラの自叙伝を一読しての感想は、宗教的熱情に犯された酔狂の人という印象をもった。日常的解釈も、信仰によって歪んでおり、しかしけれども、われわれの日常的解釈だって、ずいぶん歪んでいないとはだれがいえよう。

 ロヨラの神秘体験にも興味をもって見てみたのだが、幼児のイエスを抱いたマリアを見たり、鍵盤のかたちで三位一体を見たり、幻視的な特徴があるようだ。

 偉大な神秘体験とよばれるものは本人いわく照明体験といい、多くの事柄をいっきょに理解し、生涯をとおしての知見はこの照らしにはおよばなかったといっているように、神秘思想家のいう神秘体験に通じるところがある。言語上でのセラピーでも、この地点までたどりつけるのか。

 ロヨラは『霊操』を読んだことはあるのだが、いまいちピンとこなかった。この人は日本にキリスト教をもたらしたイエズス会(イエスの友の会)の創始者であり、日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルの学生のころに出会った記述がある。ほんの一行だけである。

 ロヨラは物乞いをしながらのエルサレム巡礼やパリの大学への行程をへており、布教活動も独自なものであったので、とうじの権力であったドミニコ会の宗教裁判や審問をよく受けている。キリスト教というのは、公式な教義から外れることを、ずいぶんと統制していたようで、権力というのは見解の相違すら許さないものという感想をもった。

 言語上でのフィクションでのセラピーを受けるより、言語をそぎ落とすことによるセラピーのほうがよほど優れているとわたしは思うのだけどね。


霊操 (岩波文庫)イグナチオとイエズス会 (講談社学術文庫)キリストにならいて (岩波文庫)告白 上 (岩波文庫 青 805-1)キリスト者の自由・聖書への序言 (岩波文庫)



関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top