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12 29
2017

幻想現実論再読

自我以前の主体はだれ?――『神々の沈黙』 ジュリアン・ジェインズ

4314009780神々の沈黙
―意識の誕生と文明の興亡

ジュリアン・ジェインズ Julian Jaynes
紀伊國屋書店 2005-04-01

by G-Tools


 古代の人間には意識がなく、神々の信託をだれもが聴く右脳中心の二分心をもっていて、その証拠を古代文明に跡づけようとした驚嘆の書であって、謎解きのスリリングさに600ページの大部を忘れさせる快作である。

 意識がないわけがないだろう、神の信託を聞いていたなんてほんとうなのかという懐疑と疑問が押し寄せてくるから、著者のいう証拠や論証をもっと早く見せろいう気持ちで読み進めさせられることになる。語り口も魅力的であって、論証の手さばきも見事である。

 意識がなく神の声を聴いていたという文明論はトンデモ文明論にすぎないと片づけることもできると思うのだが、意識研究のデネットやダマシオなんて人の評価も聞かれるのだから、かんたんには斬り捨てることのできない内容はもっていると評価されているらしい。

 意識がなければ神の声を聴くというのなら、動物も意識の確度が弱いなら神の声を聴いているのかとなるのかと論拠を疑いたくなるのだが、この奇想な書は意識のほかの焦点や光を当てたという点で、尽きせぬ泉を見つけた意義があるのかもしれない。

 意識がない状態がどうしても解せないと思っていたのだが、読後にアマゾンのレヴューで見つけたのが、「この著者がいう「意識」とは「言語を利用して、周囲の事物、人間を認識し、その相対として自己を認識している状態」をいいます」という指摘である。言語が育む自己意識という意味らしく、われわれが素朴に思うような意識ではないらしい。

 これはまったく「自我」のことをいうのではないかと気づいたのだが、この著作にはほとんど「自我」という言葉が出てこない。「自我」概念の欠落を知ると、この書をはじめから全部読みかえさなければならない気持ちに駆られた。動物行動学から出発した著者は、「自我」というあいまいではっきりしない心理学的概念を嫌ったのだろうか。自我概念の欠落はあまりにも大きい。

 自我概念を完全に無視したうえで、著者が定義した「意識の特徴」も興味深い。空間化、抜粋、アナログの「私」、比喩の「自分」、物語化、整合化、といった特徴をあげている。言語は比喩としか成立しないといったことや、心の空間化、時間の空間化といった洞察は、意識への違う目を啓かせるので、こういう捉え方はもっと洞察を深めたい気持ちとして残しておきたい。

 『イーリアス』や『オデュッセイア』のあいだの、神の声に従う二分心のあいだと、個人自我が芽生えた後の形跡をこの書にたしかめたくなる。『イーリアス』のころはほんとうに神の声に従い、個人意識はまったくなかったのだろうか。

 いや、これはたんなるシャーマンが権力をもった時代のことをいっているだけで、意識がなかったとはいえないと思ったり、また個我意識の発生経緯について思いを馳せたりしたくなる。

 よく心はどこにあるのかという問いに心臓をあげる答えに、現代人は頭とあげることが多く、奇異に思うわけだが、本書では古代の人々が心的な概念をつくりあげる前には、臓器や物質の概念で心の状態を捉えていた変遷がたどられているのを読むことができて、現代人は心を頭に切り離し、臓器環境を末端に抑え込んだ様がよくわかるようになっている。頭の心的概念こそが「私」になっているのである。

 トランスパーソナル心理学や神秘思想では、自我というのは想像上の観念であるといわれるのだが、本書はその自我が創作される前の意識状態を浮き上がらせようとした試みといえるかもしれない。頭の中の想像上の小人をつくりあげる前に、人間の意識状態はどのようなものだったのだろう。

 言葉や概念で捉えない環境が広がっていたわけで、自我が構想される前には、なにが、だれが意志や指示を出していたのだろう。著者がいう意識がないというのは、このような意思決定者としての自我がない以前はどのような状態だったのだろうかということではないだろうか。だれが意志や指示をおこなっていたのかと問うと、神の声という主体を想定するしかない状態を思うしかないということだろうか。

 この書は、自我という概念を失った動物行動学が、主体を失った人間が何によって意志や指示をおこなっていたのかという主体の喪失をあぶり出した書ともいえるかもしれない。そこに神の声という主体がすっぽりと収まった。

 わたしは、神々を信じた時代というのは、言語の実体化にはじめて出会った人類が、頭でつくりだす概念の想像以上の実在化の力に圧倒されてしまった時代ではなかったのではなかろうか、と思うのだけどね。言葉や想像力の圧倒的な力に、人類はころっとひれ伏してしまった。

 この書は自我がない以前には意識状態はどのようなものだったのか、主体がなかった時代にだれが意志や指示を出していたのかという問題を考えた書ではないかと思う。自我という言葉をまったく使わないために、なんとも混乱した書になっているが、自我以前の意識状態を考えた書ではないだろうか。自我ができる以前の意識状態、意志の主体者はだれだったのかという問いを発した書ではないだろうか。


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

初のKindleセルフ本、発売中。他人に感情を振り回されてばかりいる人、過去を後悔してばかりいる人、必読。長年の習慣から解放される心理セラピー。



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