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12 24
2017

幻想現実論再読

言語フィクションの創出――『ニューエイジについてのキリスト教的考察』 カトリック中央協議会

4877501290ニューエイジについてのキリスト教的考察
教皇庁文化評議会/教皇庁諸宗教対話評議会
カトリック中央協議会 2007-04-21

by G-Tools


 カトリック教会による冷静で、客観的なニューエイジについての分析と対応策を考えた150ページほどの小冊子である。

 ニューエイジについてのある程度の批判的見解を読みたかったから手にとったといえるのだけど、冷静な分析のほうが大きかった。

 ニューエイジは自己実現が、東洋宗教や神秘思想と結びつき、キリスト教のような人格神信仰や教団宗教と対立するかたちで、個人主義をめざし、疎外からの融合を説いた運動だといえる。既成宗教のようにはなりたがらず、宗教ともいいがたく、運動も拡散的である。

 人格神や父権宗教に対立するかたちで、無や大海との一体を説き、境界や断絶、二元論といったものからの宇宙的融合を語り、既成宗教の信者の地盤を奪っている。カトリック教会の危機感も感じられるのだが、ニューエイジ的な教えを説く教会もあらわれ、教会のほうも異端宣告のような断罪をおこなおうとはしていないようだ。

 わたし自身も現代の多くの人と同じように科学的な教育をうけてきて、とうぜんに人格神なんて信じることがどうやって可能なのかと思うくらいなのだが、認識の幻想性や唯心論のような見解に出会ううちに、ニューエイジの流れに乗っただけで、神や霊魂といった存在はずっとエクスキューズした場所においている。

 究極的に神秘思想というのは、言語でつくる仮想世界の夢を醒めさせるだけの教義ではないのかと思うのだけど、その思想がフィクションをどんどん利用するかたちをとったのが宗教ではないかと思ったりもしている。

 言語がなければ時間もなく、苦悩もない。過去や未来に端を発した苦悩がないゆえに、その至福の状態を神といったのではないかとさえ思っている。ほんらい宗教は言語的なフィクションの省いた先に、苦悩のない世界を夢見たのだが、言語や思考を人の頭からとり去るのは難しく、フィクションの創出が宗教の座を乗っ取ったのではないかとさえ思う。

 わたしがニューエイジにふれるのは、じつに限定されたかたちだけであって、言語や心象が創り出すフィクションの幻影を暴くといったもくろみが、その主要な関心である。だからなにかフィクションめいたものに出会うときはひじょうに警戒している、というかスルーしている。わたしは宗教から、フィクションの創造をとり除いたすがたを見ようとしているのである。

 スピリチュアルや心霊主義とかいわれたりするのだが、じつは言語的創造力を省いたものこそが、核心ではないのではないかと、わたしは思っている。まあ、といっても人の頭の中は言語的構築力の構造にすっかりとりこまれていて、ひきはがすなんて容易ではないと思うのだけどね。

 人は言語で世界を説明しようとすると、たちまちその存在は実在のものととり違えられる。ニューエイジはその構造と無縁ではないし、宗教はそのはなはだしき実在化と崇拝化の流れに呑みこまれてきたのではないだろうか。

 その言語の根源に注意を向けない限り、ニューエイジも言語フィクションの創出と実在化をまぬがれ得ないと思っている。


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