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12 08
2017

幻想現実論再読

神に隠されたもの――『シレジウス瞑想詩集』 アンゲルス・シレジウス

4003381912シレジウス瞑想詩集〈上〉
(岩波文庫)

A. シレジウス Angelus Silesius
岩波書店 1992-03-16

by G-Tools

4003381920シレジウス瞑想詩集〈下〉
(岩波文庫)

A. シレジウス Angelus Silesius
岩波書店 1992-03-16

by G-Tools


 岩波文庫以外に評論をあまり見かけない中世の神秘主義詩人なのであるが、象徴や暗喩に富んだ詩は、世界共通の神秘思想家とおなじことを語っており、ひじょうにすぐれた神秘家であると思う。

 なにより、やさしく読みやすい二行詩だから、すいすい入ってくる。だけど、解釈や受容は、その人の段階におうじて理解できるものが変わってくると思う。さいしょはわからないものが大半だとしても、神秘思想になじむにつれて、ほかの人も語っていた同じ象徴を読みこめるようになる。

 このキリスト教神秘主義者に、禅者やインドのブラフマン、老荘のタオを読めるようになる。

 キリスト教は人格神のイメージが強いのだが、シレジウスでは神は状況や状態といったひとつの場をあらわすように思える。神はあなたであるという表現も見られ、これは神秘家の語ることと共通である。

 シレジウスを読めば、神というのは至福の状態を擬人化したものだという感が強くなる。

 人格神を創作としか思えないわたしでも、神をそのような象徴や暗喩として読み込む解釈をしている。けっきょく、神というのは言葉でつくられた苦悩や現実といったものがない沈黙の状態が至福であるがゆえに、そう名づけられると思える。

「神は純粋な無である。いついかなるところでも神に触れることはできない。神をとらえようとすればするほど、神はあなたから遠ざかる」



 言語で捉えたところを離れることが、神とよばれるのではないのか。

「神はここにもそこにもいない。神を見つけ出そうと求める者は、手と足、肉体と霊魂に縛れることになる」



 言葉というのは、ことごとくフィクションや幻想を立ち上げてしまう。むしろ、それがないことこそがリアリティではないのか。

「場と言葉は一つであり、もし場がなければ、(それは永遠にそうであろう!) 言葉も存在しないだろう」



 この言葉に、時間も、また心もつけ加えたいのだが、人があまねくもってしまう実在化の過ちをいっているのだろう。 

「あなたの中からあなた自身を注ぎ出してしまえばしまうほど、神はますます神性をあなたの中に注ぎこむにちがいない」



 今回、シレジウスを再読したくなったのは、この言葉を読みたかったからだ。言葉や心象ではなく、無になればなるほど、至福の状態に近づける。

「出ていきなさい、そうすれば神が入ってくれる。死になさい、そうすれば神に生きる。存在することをやめよ、そうすれば神が存在してくれる。何もするな、そうすれば神の教えが行われる」



 この世で人がおこなうすべては言葉による幻想やフィクションを追ってしまうのではないだろうか。

「神から遠ざかれば遠ざかるほど、人は時間の中に深く入りこむ。だから悪魔的な者には一日が永遠なのである」



 あなたは過去を思い出しては、苦悩や悲嘆にくれる。地獄の毎日である。それがほんとうに実在するのかと問うことによって、地獄は薄れてゆくのではないか。

「あなたを不安にしているのは人間でも神でもない。(おお、愚かなことに!)あれこれ思い悩んで、自分で自分をあなたは不安にしている」



 人は言語によって、または記憶や心象によって、苦悩や悲嘆をつくる。それは自分自身で創造しており、それを事実やじっさいにあるものと思い込んでいるだけではないのか。

「世界があなたを牢獄に閉じ込めているのではない。あなた自身が世界であり、この世界は自分を閉じこめている牢獄なのだ」



 言葉や心で思ったことをじっさいにあると思い込むわたしたちは、自分で牢獄をつくり、その牢獄から出られないと叫んでいるあわれな囚人のようだ。

「永遠のあの世ではあらゆることが同時に起こる。時間の支配するこの世のような前や後ろはない」



 わたしたちは過去が実在すると思い、未来が実在すると思い込むことによって、実在しないそれらにとりこまれてしまう。


「すべてこの世のものは煙である。あなたが煙を家に入れようものなら、あなたの魂の眼をきっとだめにしてしまうだろう」



 この世に固定的で物質的なものが堅固にあると思い込むことによって、とどまることを知らない流れの中で、固定的なものをつかもうと、流れに逆らおうとするのである。

「もしあなたが大海の中で一つ一つの水滴の名前をあげることができるなら、大いなる神の中にあるわたしの魂を、あなたは見分けられるだろう」



 荘子の万物斉同説やインドのブラフマンのような「一なるもの」、区切りのつけられないひとつながりの世界をいっているように思える。

「わたしがまだわたしになる以前、わたしは神の中で神であった。だから、わたしがわたしのために死にさえすれば、また再び神になることができる」



 子どもでなければ神の国に入れないといっていることと同じである。言語の巨大な構築物が打ち立てられる前に帰ること。



 シレジウスが語ることごとくは、神や愛といった信仰のことばをいっているにせよ、わたしには言語の創造力や実在化の比喩や象徴をいっているように思える。

 わたしたちは、言語の、心象の創造力や実在性というトリックに騙されているのである。それを宗教時代の人たちは、比喩として、暗喩として、神という言葉をもちいた。そういう表現で人をひきつけるしかなかった時代だったということができる。

 しかし、現代人は言語のそのようなマヤカシをトリックを比喩なしに理解できるほど熟しているはずだと思う。


キリスト教神秘思想史 (1)エックハルト キリスト教神秘主義著作集 6ヤコブ・ベーメ キリスト教神秘主義著作集 <13>禅仏教とキリスト教神秘主義 (岩波人文書セレクション)エクスタシーの神学: キリスト教神秘主義の扉をひらく (ちくま新書)


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