HOME   >>  幻想現実論再読  >>  「大乗起信論」のナゾ――『意識の形而上学』 井筒 俊彦
08 05
2017

幻想現実論再読

「大乗起信論」のナゾ――『意識の形而上学』 井筒 俊彦

4122039029東洋哲学覚書 意識の形而上学
―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫)

井筒 俊彦
中公文庫 2001-09-01

by G-Tools


 『大乗起信論』というのは、とてつもなくナゾを掻きたてる言明をしている。

「一切の現象はみな心からおこるもの、すなわち心が妄りにはたらくことから生ずるものである。したがって、すべての判断というのは、自分の心を自分で判断しているにすぎない。もし、自分の心が自分の心を見ることをやめれば、そこにはいかなる相のとらえられるものとてないからである。
…世間の一切の認識対象は、すべてこれ衆生の根本的無知にもとづく妄心のはたらきによって現象しているのである。それ故、一切の現象は、鏡の中に現れる影像と同じく何ら実体のあるものではなく、ただ心が現し出しているだけで虚妄である。何となれば、心がはたらきをおこすと種々の現象が生じ、心がはたらきを止めれば、種々の現象もまた消滅するからである」



 心が消滅することはありえるのだろうか。外界の対象が消滅することはありえるのだろうか。

 知覚の対象をいっているのか、それとも言語や概念の対象が消滅するといっているのか、虚妄世界の宣言をたからかに歌った『大乗起信論』はナゾの書物でありつづける。

 その『大乗起信論』を井筒俊彦が読み解いたのが本書である。

 井筒俊彦は、イスラーム学者や神秘主義者でありながら、正当な学問として認められた大家と評価されているようである。

 私的には繊細な世界をここまで言語化できる学者はいないだろうと思っているが、そもそも神秘主義者で、アカデミズムに認められている人はそういないだろう。

 西田幾多郎などの禅の西洋哲学解釈の学派がいないわけではないが、題材を世界の神秘思想に求めたり、緻密な言語化能力を駆使した学者はほかにいないだろう。鈴木大拙のような海外に活躍の場をもった学者である。

 本書は、残念ながらあまり感銘を受けたわけでも、おもしろいと思えたわけでもない。

 『大乗起信論』を図式的に理解しようとした試みに思えるが、悟りや真如の世界をめざそうとする立場に思えないことが、必要性を感じさせないのだろうか。

 言語のない一体の世界、言語の網がかけられた世界を円形であらわしてみたり、アラヤ識が肯定か否定かさぐられていたりする。人はどうやって一如の世界から汚れてゆくのかといったメカニズムもうきぼりにしようとする。

 でもこの書の意図が、悟りや開明に近づけることを目的にしているようには思えない。ずっと言葉の世界に立ち上がることではないのか。文句いう以前に解読の忍耐もキツイのだけどね。

 170ページほどのさらりと読めてしまう本で、ちょっと満足しなかったので、井筒俊彦の著作はまだまだ読みたいと思う。繊細な言語化で、ここまで神秘思想を語った学者はいないと思うからだ。それに日本的な仏教的言語よりか、西洋概念的な言語でそれを理解したい気もちが強い。

 ただ、利用図書館の全集が貸し出し禁止になっていて、思う存分に井筒俊彦の世界にひたれないのが残念。


大乗起信論 (岩波文庫)『大乗起信論』を読む瞑想の心理学―大乗起信論の理論と実践神秘哲学―ギリシアの部アラビア哲学―回教哲学

関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top