HOME   >>  幻想現実論再読  >>  論証学ムリ――『夢幻論』 重久 俊夫
08 04
2017

幻想現実論再読

論証学ムリ――『夢幻論』 重久 俊夫

4895141799夢幻論
―永遠と無常の哲学

重久 俊夫
中央公論事業出版 2002-05

by G-Tools


 仏教のこの世界は幻想かというテーマを探究しているから興味をひかれた本だが、論証学の本だから、わたしの苦手とするジャンルであってもどかしい。

 著者は在野の研究者なのか、高校の教師とかの情報があった。大森壮蔵や西田幾多郎にインスパイアされた人のようだ。

 論証学は、わたしはほんとうに理解しがたく、事実についてのべようとするのでなく、思想間の議論の違いとかをえいえんと議論するので、わたしはこの方面の理解力がかなり足りない。ナーガールジュナもとりあげられているが、内容は似ている。

 ということで、この本についてほぼのべることはない。

 経典の引用がいちばん気になった。これ、すべてを語りつくしているのではないかと思えたほどだ。

 一世紀の『フリダヤ・スートラ』という経典と書かれてあったが、『般若心経』のことですね。気づくまで似ているけど、こっちのほうがわかりやすと思ったが、『般若心経』であると気づくまでの時間が恥ずかしい。

もしも、思いをこらしてこの世界を見きわめることができたならば、
知がきわまり、虚妄の奥が開かれる時、
私は知るだろう。
この世界が形ある存在のままで同時に、
どこまでも透きとおった幻であったということを。
その時、よろこびも憂いも、もはや実体としてあることをやめるだろう。
求道者たちよ。
去来する一切の現象は、全て不生不滅の永遠の幻想なのだ。
不生不滅の永遠の幻想という形でそれらは存在しているのだ。
物も心も、何もかもがそうなのである。
求道者たちよ。
全て存在するものは幻想であって、
新たに生じることもなく消滅することもない。
形ある存在でありながらどこまでも透明であり、増えることも減ることもない。
このゆえに、夢幻の世界にあっては、
物はそこに存在していながらどこにも無い。
意識も、意志も、感覚も、そこに存在していながらどこにも無い。
視覚も、聴覚も、嗅覚も、味覚も、触覚もなく、
見るものも、聞くものも、味わうものも、香るものも、触れるものも無い。
世界もなく、意識も無い。
無知の闇も無く、無知の闇がなくなることも無い。
老死も無く、老死が尽きてなくなることも無い。
解脱への道のりも無く、知るものも得るものも無い。
実体として執着すべきものが何もないと分かる時、
虚妄を越えた知があらわになり、心にとらわれも無く、恐れも無くなるのだ。
虚妄を遠く離れた知によって真相を達観し、私は夢幻の世界に自らを憩わせる。
そして無限の知にいだかれて、
私は憂いを越えた世界に到達したことを悟るだろう」



 この世界は実体がなく、すべて幻想である。言語や観念がつくりだした世界を実体あるものとわれわれは見なしているし、知覚世界も生物が外界を知覚するための模造や創出された絵にすぎないのだ。そこに言語の網の目がかぶされて、われわれは実体のない世界を現実のものとして暮らしている。そういうことではないだろうか。 

 この知覚世界の確実性を、われわれは疑い得にくいわけだが、この世界の基盤である身体感覚すら、感覚という実体なきものを基盤としているので、われわれの世界というのは、じつに怪しいものではないだろうか。

 もうひとつ引用したい文章。補注が『ガンダビューハ・スートラ』とサンスクリット語だったので気づかなかったが、『華厳経』である。これは華厳経そのものだなとは思ったのだけど。

「小宇宙は同時に大宇宙であり、大宇宙は同時に小宇宙である。
広大無辺の世界はすなわち一点の世界であり、一点の世界はすなわち広大無辺の世界である。
一の世界は無限の世界にほかならず、無限の世界は一の世界にほかならない。
すなわち、夢幻の世界は一なる世界に含まれ、一なる世界は無限の世界に含まれている。
不浄の世界は同時に清浄の世界であり、清浄の世界は同時に不浄の世界である。
一つの毛穴の中には一切の世界があり、一切の世界の中には一つの毛穴の本質がある。
ただ一瞬の世界からすべての世界は生み出され、
それらすべては、まるで虚空のように透きとおって存在しているのだ」



 これはこの世界のことをいっているように思うが、言語がなければ区切りや境界がなく、境界がないものは大であり小であるという言語の無効を説いているのだと思う。境界がなければ、すべて同じである。

 いや、ただ言語のまえに知覚・物質世界の境界や輪郭、形があるわけで、そういう認識には違和感がある。この分離された物体の世界は、言語によって生み出さるのではなく、知覚によって与えらえるものではないのか。このへんがまだよく呑みこめない。

 この論証学の本も、驚くほど言語についての懐疑や不信がなくて、存在していないものを実在に見せかける言語という道具に対する警戒や不信がないのである。

 言語はひとつのマヤカシの世界をつくりだし、それが現実にあり、地図にすぎないものを現実のものと見なす作用がある。わたしたちが想像したり、思い描く世界は、対象そのものではなく、描かれた像にすぎないということを、おうおうに人は忘れてワナにはまるのである。

 言語の世界は、実在しないし、存在しないし、どこにも実体あるものとして存在しているわけではない。過去も奈落の底のようになくなる。言語と過去は、存在していないものとして共通しているのだが、それが想起や思考されたとたん、現実に存在するものとして、われわれは認識してしまう。その過ちのワナに、たやすくわれわれはすくわれてしまうのである。


時間幻想―西田哲学からの出発世界史解読―一つの進化論的考察夢幻・功利主義・情報進化般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)現代意訳 華厳経 新装版

関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top