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07 28
2017

幻想現実論再読

知の固定化にドロップキック――『禅仏教の哲学に向けて』 井筒 俊彦

4906791247禅仏教の哲学に向けて
井筒 俊彦
野平 宗弘訳
ぷねうま舎 2014-01-23

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 井筒俊彦は、言語化の極みに達した人である。よくぞここまで言語化できたと繊細なひだの区分け能力に驚かされる。

 図書館では全集のほかの著作を読みたかったのだが、貸出禁止だったので、イスラーム哲学の井筒氏が禅をどう語っているのか知りたくて読んでみた。

 しかし井筒氏は、父が禅の実践者だったために子どものころから教えられていたそうだ。言語化の深みは、言語学者として出発したゆえんもあるのだろう。

 ひさびさに禅の本を読むと、いかに自分も知の固定化や局限化に凝り固まっていたか、思い知らされる。後ろからドロップキックを喰らったようなもので、固定化されて自信につながりそうな知識が、ぼろぼろとつき崩される。

 基本的に、神秘思想は人間は幻想や認識をあやまって捉えているというなら、なぜそのような過ちを犯すのか、どういうふうに間違っているのか、心理学的に、認知的に詳細に記述するほうがわかりやすいと思う。

 こういう説明なら理解が深まると思うのだが、井筒氏は専門化しすぎていて、一般の読者に届くようにやさしくいいかえるような工夫はまるでしていないようだ。神秘思想というのは、心理セラピーとして一般の人にいちばん届くべき知識であると思うのだが。

 禅は、この世界はすべて自分の心だといった唯心論的立場をいっているように思うときもあり、その知識に慢心すると、うしろから飛び蹴りを喰らう。

 

「動いているのは風ではない。旗が動いているのでもない。尊敬する同胞よ、実際にはためているのはあなた方の心だ!」



 

「雨はお前の眼に落ちている! お前の鼻に浸みている!」



 これは唯心論的・唯識論的な心をいっているに違いない。だけど、こうもいわれる。

 

「…唐突に地蔵禅師が、庭の石を指さしながら法眼に言った、「私はお前が、全世界は単一の心であるという教義を信奉していると分かっている。では、この石は心の内側にあるのか、それとも外側にあるのか?」 法眼は答えた、「もちろん
心の中です」。すると、地蔵は述べた、「なんと邪魔な心の中に持っていることか! 何の因果で、心の中にそんな重い石を持ち歩かなければならないのだ?」



 知識は理解しないとそこにはいけない。しかしそこにいくとその知識すらも虚構の実体なきものとして棄て去らなければならない。固定した知識の信奉こそが、禅が跳ね飛ばそうとするものである。

 通常は、言葉による知識をたくわえること、いつまでも覚えていることを賢明とするのだが、禅においては、それが実在を遠ざける障壁として喝破される。ひさしぶりに禅を読むと、この慢心に蹴りを入れられて、忘れていた衝撃を喰らう。

「人はまず、「自分の自我主体を忘れること」を学び、自身を完全に水へと吸収させなければならない。その時、人は流れる川として流れるようになるだろう。そこには、もはやいかなる自我の意識もないだろう。また、いかなる水「の意識」もないだろう。それは、人が水になり、水として流れる事態でさえないのである。なぜなら、そのような次元では、何かになるために実在する自我はないからである。ただ単に、水が流れ続けている。それ以上でも以下でもないのだ」



 人の意識というのは、焦点化やフォーカスの特徴をもっている。たとえば、怒りや悲しみに同一化してしまうと、それ自体、それのみとなり、世界はそこから見られるものになる。だから感情自身にならないために、その起因となる思考の脱同一化が、瞑想でめざされる。

 わたしたちが夢中になったり、対象に没入しているときは、我を忘れている。

 この我を忘れた状態は悟りの状態といえるのか、それとも狭隘化の悪弊といえるのか、混乱する。

 禅や神秘思想は、頭や言語で観念してつくりだす世界の、虚妄性や非実在性を悟らせようとする知識である。わたしたちは言語や頭でつくった世界を現実にあるものと思って暮らしている。その誤りを悟らせようとする知識である。

 そしてそれに気づくのが、身近にありながら、気づくのがとてもむずかしいものになっている。宗教にしても神という存在を創作してしまって、その知識を実在のものと思い込むベールが囲んでいる。

 非実在のワナに気づいても、またしてもその知識の固定化によって、また虚妄と非実在のワナにかかる。言語とはまことに巧妙なベールである。

 禅は、知識をたくわえた慢心に、後ろからの飛び蹴りを喰らわすのである。


東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫)井筒俊彦: 言語の根源と哲学の発生 (KAWADE道の手帖)井筒俊彦―叡知の哲学神秘哲学―ギリシアの部意味の深みへ 一九八三年 ― 一九八五年 (井筒俊彦全集 第八巻)


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