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07 13
2017

幻想現実論再読

人類の壮大なミステイク――言葉の非実在性

 人類の壮大なミステイクというのは、言葉や観念の実在性を信じることである。

 言葉や概念は存在しないのにその実在性を信じ、いま・ここ以外の膨大な世界を言葉で補っていることに気づかないことである。しかも、それがまったく実在しない空っぽであることにも思い至らない。

 いわば、これは想像や空想の世界にいりびたっていることと同じで、しかもそれは存在しない。

 わたしたちはなぜこんな重大なミステイクを気づかないまま放置しているのか。

 宗教の核である神秘思想が、言葉や概念の非実在性をとなえているのだが、ご承知のとおり、宗教は神を信仰することによって宗教団体に隷属することと思われている。

 これは言葉がなにも存在しないものから、「創作する」作用をもつことからおこっていると思われる。宗教的法悦の状態を神とよび、それに人格神をまとわりつかせた段階から、神の実在性が信仰の条件になり、それが崇拝の対象になった。言葉のミステイクを指摘するはずの宗教が、言葉の創作能力によって違うものに変貌されたのである。

 言葉の創作作用というのは、言葉の性能のひじょうに大きな側面を占めており、言葉はないものから、「あるもの」を創りだすのである。この作用の重大すぎる悪影響を人類はこうむっている。

 わたしたちはなぜに言葉のフィクション性や非実在性に気づかないのか。

 社会生活を営む上での必要性が、言葉の非実在性の気づきを拒むのだろうか。人はいま・ここ以外の情報を言葉によって補っているわけだが、目の前以外に存在しないものは信じないといった立場にあふれた人ばかりに満ちると、社会合意が成立しなくなる。

 たとえば、過去はもはや地球上のどこにも存在しないものになったのだが、過去はまったくなくなったとされたなら、過去におこなった商取引や人におこなったひどい行いの互酬性や報復が機能しなくなる。過去は「実在」していなければならなくなったのだ。

 どうように人のおこないや情報は、伝聞や言葉で伝えられた目の前で確かめたものでないものであっても、それを実在のものとして認識して、行動の参照や行動基準の典拠として、もちいられなければならない。

 情報の蓄積を拒絶するような態度では、社会生活や社会基準を守れない。わたしたちは過去や言葉によって聞き伝えられた情報であっても、信憑性のある、実在性あるものとして、行動の基準にしなければならないのである。

 そういった意味で、目の前に存在しないものでも実在の地位に祭り上げる必要がある。いま・ここ以外になにも存在しないといった態度では、社会生活は成立しないのである。

 過去も言葉もまったく実在しないという態度にあふれた人ばかりでは、社会合意や社会行為は成立するだろうか。

 社会生活の必要から言葉の実在性は信じられる必要があったのだということになるだろうか。

 わたしたちは言葉の実在性を信じることによって、存在しない虚構のフィクションの世界に生きることになり、存在しない、実在しないいらない不安や悩み、苦悩をもかかえることになった。

 言葉の実在を信じるということは、思ったことや考えたことが現実に存在すると思い込むこと、頭で考えたに過ぎないことを現実にリアルに存在すると思うこととおなじである。

 つまり空想や想像と、現実の区別がつかなくなる。

 わたしたちはしょっちょう犯罪がおこると、TVで空想と現実の区別がつかないと聞かされるのだが、われわれのたいていの人も、現実と空想の区別がついていない。日常生活の何%くらいは空想で占められていると考えたことはあるだろうか。われわれはいったいどのくらい現実とよばれるものだけをリアルに体験しているのだろう?

 あなたは銀行通帳を見て、明日を不安に思うかもしれない。きのう、友人にひどい言葉をかけられて、どう対処しようかと悩んでいるかもしれない。きのう、上司や教師に怒られて、ずっとそのことで悩んでいるかもしれない。恋人がほかの異性とつきあっているかもしれないとあれこれと想像しているかもしれない。

 これらはなにひとつ現実に存在するものではない。想像や記憶を働かせて、悩んでいるだけであって、現実とはいえない。過去は地球上から去り、もう現実のものではなくなった。未来はいまだかつて存在したことはない。存在しないものに悩んでいるのに、なぜ現実にリアルに存在するといえるのか。

 わたしたちは現実にあるものと思っている大半のものは、存在しない、実在しないものなのである。それなのに、わたしたちは現実にリアルにあると思い、そのことについて悩む。

 言葉というのは、創作作用が強く、不在であるとか、存在しないこと、実在しないもの、無であるといった方面への気づきをあまりもたらさない。ひたすら創作するばかりで、それが実在しないことに思い至らせない。

 言葉や思考の対比として、非実在性をもちだすと、その虚無性がうきぼりになり、言葉の創作作用というものがよりいっそう明確に見えてくる。言葉はなにもないところから、創造するものなのである。

 悩みというのも、存在しないところから創作・想像する面がひじょうに強い。言葉や思考することがなにも存在しないとするのなら、わたしたちはなにを思い煩っているのだろうか。それは言葉によって創作された「なにもないもの」ではないのか。

 わたしたちは悩みや苦痛を自分で「創作している」面のほうが強い。それを「事実」や「現実」と思うことによって、あるいはその地位まで祭り上げることによって、空想や想像にすぎないものを、現実に存在するものとして苦悩しているだけなのである。

 それに気づくには、言葉の非実在性というものを深く実感しなければならない。あるいは過去が深淵に呑みこまれた様を深く実感することが助けになるだろうか。その実感を深くしたところに、言葉や想像の虚構性や創作性の愚かさが見えてくる。

 わたしたちは言葉や想像の実在性、リアルさを信じてしまうがゆえに、深い苦悩や悲嘆も背負うことになった。わたしたちはこのミステイクを手放して、どうじに社会生活もきちんと送れるような分別を得られるようになるだろうか。

 言葉はきょうもわたしたちの頭に創作をほどこしていって、苦悩や悲嘆の雪を募らせてゆく。幻の存在しない雪を。
 

▼こちらもあわせ読むとわかりやすいです。
 言葉が実在しないことについて
 人類の壮大なフィクションが存在しないこと
 人は存在しないものに泣いたり、悲しんだり、苦しんだりしている

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