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07 07
2017

映画評

かけがえのない今、この瞬間――『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』を読み解く



B06XDPFCTWぼくは明日、昨日のきみとデートする
DVD通常版

東宝 2017-06-21

by G-Tools



 奇しくも7月7日、七夕にこの映画の感想を書くことになったが、この物語は現代の七夕伝説といってよく、原作者の七月隆文は大阪の枚方出身なのに、交野市の七夕伝説と結びつけなかったのは惜しいと思う。テレビ放送にはぜひ七夕に放映を。

 この映画は二回見てはじめて一度見たことになるというくらい、彼女の秘密を知ってからの彼女の気持ちがわかるようになって、まるで違った様相を見せるようになる。切なさと彼女のつらさが倍増して、わかるようになる。ぜひ二度目を見てほしい。わたしはもう五度リピートしたが。

 この映画は、タイムパラドクス物語として、ターニングポイントとなる作品であると思う。

 これまでは恋人とは過去の思い出を共有することが恋人の証とされてきたが、この作品では、いま、この瞬間を大切にすることが説かれている。過去の思い出は共有できなくても、ただこの瞬間、最初で最後の瞬間を大切にする思いがこめられている。

 そういう意味でこの物語は、過去の思い出を大切にする考え方から、この瞬間、「一期一会」を大切にする思いがメッセージされている。

 まだ見ていない人にはぜひオススメしたいと思うし、感動を与えてくれたリスペクトとしてこの感想を捧げたいと思う。

 ネタバレするのでまだ見ていない人は読まないほうがいいでしょう。

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▲はじめての出会いのときに彼女は涙をこらえる


 この映画は最初はふつうの恋愛青春映画としてわりあいに順調にすすむのだが、ところどころにエミの言動に未来を見てきたような言葉があらわれたりして、不思議さを匂わす。

 ここから思い切りネタバレ全開になるが、彼女は時間を逆向きに生きるパラレル・ワールドの住人だったのである。彼女は未来に生まれ、未来から成長してゆき、タカトシが子どものころに彼女は三十代の年をとってゆく。

 彼女は、タカトシにとっての過去の思い出を共有しない。エミは未来を過去として覚えている。彼女は未来から逆向きに生きていて、タカトシにとっての明日を、エミは過去として経験している。

 そのためにタカトシにとってのはじめての出会いは、エミにとっては最後の別れの瞬間なのである。タカトシにとっての最初の手をつないだり、名前で呼び合ったり、一夜を過ごすことは、彼女にとっては、もう最後のじょじょに他人に変わってゆく、距離のおいた他人になってゆくことなのである。最初の出会いは、もう二度と会えない明日を意味する。

 タカトシにとってのこの上ない喜びであったはじめての経験は、彼女にとっては別れを意味する最後の瞬間なのである。彼女はその痛みをこらえつつ、はじめての経験に喜ぶタカトシに悟られないように自然にふるまおうとする。彼女の秘密を知って、はじめてわかるようになる彼女の痛みがとても切ない。

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▲最初の出会いは、彼女にとっては最後の別れの瞬間


 この物語は、この瞬間をおたがいにとっての最初の瞬間と最後の瞬間をぶつけることによって、この瞬間が二度とない一瞬でしかないことを思い知らせる。

 わたしたちは、過去の思い出を蓄積し、共有することこそが恋人の証であり、信認の情を深めてゆくことだと思っている。しかし、このふたりには過去の思い出の共有がない。だからこの瞬間を生きることしかふたりの時間を共有するものはない。

 精神世界の方面から、いま・ここを生きるという思想が語られるようになってきたのだが、この物語はそのエッセンスをつめた考えを呈示していることになる。

 わたしたちは、過去の思い出をとても大切にする生き方をしている。だけれど、過去は瞬間になくなってゆき、奈落の底に呑みこまれてゆくものではないのか。過去は永久にくりかえされることもなく、戻ることもない。

 わたしたちが大切にする過去というのは、もう存在しなくなった、どこにも存在しないただのスクリーンにしか過ぎないのではないか。わたしたちが大切にしているのは、マボロシや幽霊のようなものではないのか。

 わたしたちはいま、この瞬間を生きることしかできないし、過去をくりかえすことも、やりなおすこともできない。なぜ過去の思い出という存在しないマボロシを後生大事にするのだろうか。

 このいまという瞬間は最初で最後の、二度と味わえない極上の瞬間ではないのか。この物語にあるように、この瞬間は彼女にとっての最後の瞬間、永遠の別れの瞬間ではないのか。

 わたしたちは思い出や過去を大切にするあまり、この瞬間しか存在しない現在、時間というものをおろそかにしてはいないだろうか。それ以上に、過去はいったいどこに実在するというのだろう? わたしたちはまちがったものを大切に祭り上げてはいないだろうか。

 このかけがえのないいまという瞬間の大切さを、この物語は時間の逆行という設定によって、みごとに浮き彫りにしたと思う。

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▲彼にとってのふつうの時間が、彼女にとっては最初のかけがえのない瞬間


 この映画では、タカトシの最初の出会いの感激が事細かに描かれていたが、タカトシがじょじょに彼女を失ってゆくの悲しさは強く描かれていなかったと思うし、エミにとってはじめての感激や喜びの面も、強くは描かれなかった。

 タカトシの出会いの喜びと、エミの別れの悲しさがとくに強調されていた。ぎゃくにタカトシの別れ、エミの出会いの喜びは薄かった。

 エミはタカトシがそうであったように、はじめての出会いからじょじょに親密になってゆく瞬間をこの上なく喜んだはずである。そして、そのようなことを視聴者はあまり感づかないようになっていて、またタカトシや実際の人たちも、その感情というものをよくはわかっていないのかもしれない。

 わたしたちは他人の味わう気持ちや感情というものを、ほんとうのところは深くわかっていない。他人との深くて遠い気もちのミゾや距離を、この物語は味わわせてくれるからこそ、何度でも味わいたい魅力をもつのではないだろうか。

 わたしたちは他人の心をわかっていると思っていたりするのかもしれないが、永遠にわからない。自分が思っていたものとまったく違っている気持ちを、相手は味わっているかもしれないのである。

 この物語は深くて、遠い、わたしたちの心のミゾや距離も、見せてくれるのではないだろうか。出会いの喜びに満ちていたタカトシにとって、別れの悲しさを噛みしめていたエミの気持ちがまるでわかっていなかったように。

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▲最初に出会うことが彼女にとってはもう思い出とのお別れ


 ふたりはそれぞれの子どもの時期に、おたがいに大人になった相手に命を救われる。これは男女はおたがいの生を救い合うような関係であり、はしとはしをつなぎ合うひとつの命であるということである。

 男女はすれ違うかもしれない。永遠にわかりあえず、相手の気持ちもずっとわからないかもしれない。だけど、おたがいを救い合うひとつの命である。ふたりがそれぞれの子どもの時期に命を救い合うわけは、そういうメッセージが込められているのだろう。


 とてもいい映画、物語であったと思います。

 だれか大切な人と出会うとき、このふたりのタカトシとエミが最初で最後の瞬間を味わったことを思い出しながら、その人との瞬間を、二度とないこの瞬間を、生きたいと思わせますね。

 このふたりの切なさは、この瞬間しかないわたしたちの生を思い出せてくれるのかもしれませんね。

 思い出との訣別を胸にして、この最初で最後の瞬間をあまさず生きてゆきたいですね。


 ■『ぼく明日』の京都ロケ地聖地巡礼にいってきました


4800226104ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)
七月 隆文
宝島社 2014-08-06

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4800300185時間ループ物語論
浅羽 通明
洋泉社 2012-10-25

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