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07 04
2017

幻想現実論再読

言語・思考のフィルターをとり外すこと――『存在の詩』 和尚・バグワン・シュリ・ラジニーシ

483970001X存在の詩 和尚
バグワン・シュリ・ラジニーシ
めるくまーる 1977-04-25

by G-Tools


 約二十年ぶりに通しで読みかえした。

 はじめて読んだときは、たぶん西洋哲学ばかり読んでいてたまには東洋宗教ものぞいてみるかという好奇心にすぎなかったかもしれないし、リチャード・カールソンに出会って「思考を捨てる」という知恵と格闘していたころかもしれない。

 そのころに比べると格段と本書の意味やいっていることの内容もわかるようになっていて、ラジニーシはなにもおかしなことも、ヘンなことも語っていないことがわかる。西洋哲学しか読んでこなかった人にはまったくわからないだろうけどね。

 たんじゅんにいえば、言語と思考のフィルターを外すということであり、その非実在性を深く実感するには、時間や過去を顧みればよくわかるということだと思うのだが、人によってはこのアプローチでもなかなか実感しにくいかもしれない。

 なぜこれが宗教とよばれて、科学とよばれる先進で、アカデミーとして認められたことと対比されて、排斥されるのかわからない。まったく事実をいっているしか思えない。

 宗教というのは多層的で、人が見るものは神という人格神に服従することであったり、宗教組織にだまされて搾取されて金をまきあげられるとか、なんで神という創作物を信仰できるのかといった面だけだったりするのだろうね。

 そのことによって、言語・思考フィルターを外すという宗教・神秘思想の試みが見えなくなる。わたしたちが思考したり、言語を使うことの世界と意味を客観的に見れなくなる。

 言語フィルターを外すというのは、その対比に非実在性や存在しないことをおいてみると、存在しない絵空事の世界に閉じ込められている様が見えるようになる。

 言語というのは、そこにないもの、まだないもの、すでになくなったもの、一度も実在しなかったものを、あたかも現実に目の前に存在するかのように見せるひとつの認識の作用である。目の前にないものを、想像によって補完する代替物である。

 その存在しないものを現実に存在するかのように思う認識の乗り物に乗りつづけることが当たり前になるとどうなるか。わたしたちはずっと存在しない空想や想像の世界をさまようことになり、そこから一歩も出れないようになってしまう。

 これはまさにフィクションや物語に一喜一憂されるわたしたちの認識のあり方と同じであり、わたしたちは過去や未来、現実をそう捉えることしかできないから、フィクションを現実のように捉えられるということなのである。

 そのフィクションによって感情がもよわされるゆえによって、わたしたちはリアルに感情するのであり、そのフィクションがまったくどこにも実在しない虚構であると思い知ることによって、わたしたちはようやくその「夢の世界」から抜け出れるようになる。

 その先の世界を実感していないのでなんともいえないが、そこから先は実在だけの世界に踏み込むようで、それを神や悟りというようである。言葉や想像のマヤカシが霧散した先には、ぎゃくにシンプルでたんじゅんな世界に戻るようである。

 わたしは思考とか心理学的なアプローチでラジニーシや神秘思想を見る面があり、その補完としてヒンドゥー教のブラフマン概念を経由する必要があった。世界は一体であり、ひとつであり、区別も境界もなく、ひとつながりである。老荘の万物斉同やタオ・道の概念とおなじである。今回読みかえして、ラジニーシはそのことも語っていたことを知った。

 ラジニーシや神秘思想はその人の理解度や段階によって理解される度合いがちがっていて、実感や体感というものが、言葉なしに体験されると違った世界を見れるのだろうね。

 わたしは言葉で遠くまで説明できて、その明晰さも実感の助けになると思う立場なので、禅や仏教のようなあいまいな説明も好まない。といっても、わたしも仏教の狭い一側面しか知らず、多層的な面を見れず、一面の偏見でしか捉えられていない要素は大きくあるのだろうね。

 ラジニーシは人の理解や実感の段階においてしか理解の相貌を見せない。

「あなたが目にするのは映像だけだ
あなたはリアリティー・現実など見たことがない
見られないのだ

なぜならば、あなたがリアリティー・現実を見られるのは
あなたがリアル・現実になったときだけだからだ
あなたは幽霊じみた現象だ
一種のかげろうだ
どうしてそのあなたに現実を見ることなんかできる?
影には影しか見えない
心がはがれ落ちてはじめて
あなたは現実が見れる
心を通ったら
何もかも非現実的になってしまう」



 わたしたちが虚構・幻想の世界にまちがって足を踏み入れていることによっておこる間違いは、たとえば緊張をとめようとしてもっと緊張してしまったり、恐怖を抑えようとしてよけいに恐怖に陥ったり、感情を抑えようとしたときによけいに亢進させた経験などで体験すると思う。

 わたしたちはそれを現実にある、実在するものと思って、なくそうとする。しかしそんなものはなにもないのだ。ないものをなくそうとするから体に力を入れて、物理的に排除しようとして、よけいにその原因を暴走させてしまう。それを実在するものと思うわたしたちの間違いが、そのような過ちをひきおこしてしまうのである。

 言語や思考のフィルター・世界がないものと実感できたとき、わたしたちはより解放されるのだろうし、宗教にたいする偏見も溶けてゆくのだろう。「こちら」の世界はなぜそのような事実を見せまいとするのだろうか?


▼ラジニーシはどれをすすめたらいいかわからないね。香ばしい本もどうぞ。
究極の旅―和尚、禅の十牛図を語る覚醒の深みへ―和尚 講話録 (タントラ秘法の書)魂の科学―パタンジャリのヨーガ・スートララジニーシ・堕ちた神(グル)―多国籍新宗教のバビロンOSHO:アメリカへの道―砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相



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