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06 26
2017

幻想現実論再読

一切であり、区別なく、すべてである――『ウパデーシャ・サーハスリー』 シャンカラ

4003326415ウパデーシャ・サーハスリー
―真実の自己の探求 (岩波文庫)

シャンカラ
岩波書店 1988-04-18

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 いぜん、背景がなにもわからず読んだ時にはぜんぜんぴんとこずになくしてしまったのだが、ブラフマン概念を理解するとその必要性がよくわかるようになったので、もういちど買いなおした。

 ブラフマン概念というのは、世界や宇宙の一体化という宗教の目的を、全体のかたちであらわした姿に近いと思う。禅でいう「一なるもの」に該当すると思う。区分がなく、全体である、という姿を表記したブラフマンという概念は、より原初的な宗教のすがたをあらわしていると思う。

 そういうえば、老荘思想の一切斉同や道タオに近いわけで、ブラフマン概念は雄大でスケールの大きい世界観をあらわしているといえる。小は大であり、大は小であるという荘子に頻出する言葉は、ブラフマンの差別や区別なき世界そのものである。

 華厳経もそれに近い世界観だと言えるし、この世界すべてがブラフマン神という思想は、仏教の草木や山に仏性が備わっているという仏性論や如来蔵思想として帰ってきている。

「虚空が、風や他の[元素]の生起する前には、一切に遍満しているように、私はつねに唯一者であり、一切万有であり、純粋精神のみであり、一切に遍満し、不二である。

私は清浄な見であり、本性上不変である。本来私には、いかなる対象も存在しない。私は、前も横も、上も下も、あらゆる方角に充満する無限者であり、不生であり、自分自身に安住している。

私は不生・不死であり、また不老・不死であり、みずから輝き、一切に偏在し、不二である。原因でも結果でもなく、全く無垢であり、つねに満足し、またそれゆえに解脱している。

[それは]全体であり、一切に遍満し、寂静であり、汚れもなく、虚空のように安定し、部分をもたず、行為をもたず、一切であり、常住であり、二元対立を越えている」



 ブラフマンは、区別や差別もなく、ひとつながりであり、全部であり、すべてをふくんだものを指す。

 世界や宇宙側にある区別なきものがブラフマンであるにたいして、身体側にあるすべてのものがアートマンであると説かれ、それは同一のものであり、あなたはそれであると説かれる。だいたいは神秘思想が凝縮された形がのべられているように思える。

 そして、それが認識できなことが、また難解である。

「なぜなら、熟睡状態においては、[認識]以外のなにものも存在しないので、認識主体の認識は永遠である、と言われているからである。しかし覚せい状態における認識は無明にもとづくものである。それゆえに認識対象は実在しない、と考えられるべきである。

[無限者は]色・形をもっているなどという性質をもたず、視覚などの対象ではないように、無限者(=アートマン)は認識の対象ではない、と理解される。

目がないから、私は見ない。同様に、耳のない私が、どのように聞くことがあろうか。言語器官をもたないから、私は語らない。意(思考器官)をもたないから、どうして思考することがあろうか。

その不滅のものこそ見る主体であり、聞く主体であり、思惟の主体であり、また認識の主体である。その不滅のものは見る主体などと異ならないから、見る主体である私は不滅のものである。

「どのようにして私は、一切の観念を目撃する認識主体を認識することが出来るであろうか」とこのように反省し、ブラフマンが既知のものであるか否かを確認すべきである」



 なかなかジレンマにおいやるのだが、認識主体は見ることができない。ブラフマンもアートマンも見ることができない。それ自身が見るものだからである。確認できないものが神であり、あなたであると説かれる。摩訶不思議な世界である。確証できないものを、どうやって確証しようか。


 シャンカラは8世紀のインド最大の哲学者とよばれる人である。仏教や唯識論の批判もくりひろげているように、仏教興隆あとにウパニシャッドに帰ろうとした哲学者である。隠れ仏教徒ともよばれることもあるそうだ。

 わたしは『識別の至宝』のほうが感銘をうけた文章が多いのだが、シャンカラには三百ものの作品が帰せられているが、真作とつたえられているのは、十数点といわれているからこの作品に真偽はわからない。

 いぜんはまったくぴんとこなかった作品も、時宜を得るとよくわかるようになったりする。

 ただ、このブラフマン概念の一体化は、癒し要素やセラピー要素をなかなか感じがたいのだが、むかしのインド人は輪廻を現実に感じ、そんなに苦痛だったのだろうか。あるいは死や病が身近にありすぎて、不滅や不死であることが切実な願いとして感じられていたのだろうか。



識別の宝玉 完訳「ヴィヴェーカ・チューダーマニ」第5巻 シャンカラの思想 (新装版 インド哲学思想)シャンカラ派の思想と信仰バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)原典訳 ウパニシャッド (ちくま学芸文庫)


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