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05 16
2017

幻想現実論再読

自己と世界の合一――『世界の名著 (1)  バラモン教典 原始仏典』

412400611X世界の名著 (1) バラモン教典 原始仏典  (中公バックス)
大河内 一男
中央公論新社 1979-02

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 ケン・ウィルバーの「境界なき世界」、「ひとつながりの世界」、「見るものと見られるものの同一」は、仏教というよりか、ヒンドゥー教やバラモン教により近い。

 ということで、『ウパニシャッド』と『バガヴァッド・ギーター』が所収されたこの本をひっぱりだして読んだ。バラモン教といえばなんとなくなじみが薄く感じられるが、インド哲学であり、仏教の生まれ出た世界観を内包している世界観である。

「見ることの背後にある見る主体を、あなたは見ることができない。聞くことの背後にある聞く主体を、あなたは聞くことができない。思考の背後にある思考者を、あなたは思考することができない。認識の背後にある認識者を、あなたは認識することはできない。この(見・聞・思考・認識の主体としての)あなたのアートマンが、万物に内在しているのである。これ以外のものは災いがある」



 『ウパニシャッド』からの引用である。

「聡明な者(アートマン)は生まれもせず、また死にもしない。これはいずこから来たのでもなく、まただれかになったこともない。この太古以来のものは、不生、恒常、永遠であって、たとえ身体が傷つけれても傷つけられはしない。
…原子よりもさらに微さく、大きいものよりもさらに大きいアートマンは、この世の被造物の胸奥におかれている。
…アートマンはすわっていながら遠くにおもむき、臥していながらあらゆるところに至る。
…このアートマンは教えによっては得られない。知性によっても、聖典をひろく学ぶことによっても。これが選ぶ人によってのみ、それは得られる。その人にこのアートマンは自らのすがたをあらわす」



 言葉による分別や分断はないという意味なのか、霊魂のような存在を想定しているのか、わたしにはよくわからない。この個我であるアートマンと、宇宙に偏在するブラフマンが同一であることを説くのがバラモン教の特徴であって、それは「わたしは世界であり、世界はわたしである」という宇宙の合一とおなじことである。仏教はえてして、この根本目的が見えないことがある。

「彼のすがたは目に見えず、だれも彼を目で見ることはない。彼は心によって、思惟によって、思考力によって表象される。このことを知る人々は不死となる。
五感の知覚も思考力も静止し、理性も活動しないとき、それを人々は最高の帰趨という。
…ことばによっても、思考力によっても、視覚によっても、それ(アートマン)は得られない。それは「ある」という以外には、どのようにして理解されよう」



 知覚によって知りえないものをどうやって知りえるというのだろうか。霊魂の離脱のような状態をいうのかもしれないが、そのような存在を現代に信じてよいものだろうか。宗教はなぜにそのような目的を現代でも持ちえるのだろう。

「非顕現の形相をもつわたしによって、この世界は満たされている。一切万物はわたしのなかに内在するが、わたしはそれらのなかには存在しない。
かといって、万物はわたしのなかに内在しない。…わたしの本体は万物を支え、万物の創造者であるが、本来、万物のなかには存在しない。
あたかもいたるところに吹く強力な風が、つねに虚空のなかに存在するように、一切万物はわたしのなかに内在すると知れ」



 『バガヴァッド・ギーター』からの引用である。世界に遍在するブラフマンの説明であるが、存在するが存在しないような不可思議な説かれ方をする。

「はじめがなく、中間がなく、終わりがなく、無限の力をもち、無限の腕をもち、日月を眼とし、火炎をあげる祭火を口とし、自己の光明をもってこの全世界を熱するおん身を、わたしは見ます。
なぜなら、天と地とのあいだのこの空間、およびあらゆる方角は、おん身によって満たされていますから」



 分断も分離もされないブラフマンという存在。わたしたちは多様性のある物体の世界を生きているのだが、バラモン教はそれを否定する。

「それ(知られるべきもの、ブラフマン)は、あらゆる方向に手と足をもち、あらゆる方向に眼と頭と口をもち、あらゆる方向に耳をもち、またすべてを包んで、この世界に存在している。
それは、すべての感覚器官をもつかにみえて、しかもすべての感覚器官をもたず、執着を離れ、すべてを保持し、成分をもたず、しかも成分を享受する。
それは万物の外にあり、また内にあり、不動であり、また(身体と結合して)動く。微細であるために認識されず、遠方にあると同時にまた近くにある」



 ブラフマンはあまり人格とされない神といったものかもしれない。あらゆるところに偏在し、あなたはそれであるといわれるブラフマンやアートマン。神の原始的形態はこのようなものだったと思われるのである。


 この本はほかにバラモン教典として、『ヨーガ根本聖典』やシャンカラの『不二一元論』、『バーガヴァダ・プラーナ』などが収められている。

 原始仏典では『ミリンダ王の問い』が秀逸で、あなたや車はどれなのかと問うてゆく展開は参考になる。輪廻の主体はなにかという問いにつながるわけだけど。


 バラモン教のブラフマンとアートマンの合一は、悟りの目的のあり方を、かんたんなかたちで明確にあらわしていると思う。仏教になると合一の目的が見えず、道徳や心の安寧だけが表面に見えるようになったりして、根本目的がおうおうにして見えなくなっていることがある。ということで、バラモン教、ヒンドゥー教、インド哲学は、基本的な哲学としておさえておきたいと思わせるものだ。



ウパニシャッド (講談社学術文庫)はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)インド哲学へのいざない ヴェーダとウパニシャッド (NHKライブラリー)インドの「一元論哲学」を読む―シャンカラ『ウパデーシャサーハスリー』散文篇 (シリーズ・インド哲学への招待)


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