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![]() | 楽天主義セラピー リチャード・カールソン Richard Carlson 春秋社 1998-12 by G-Tools |
この本を知らずして、どうやって心の健康を保てるのかと疑問に思えるほど、すばらしい内容の本なのだが、絶版状態のまま文庫本にも回収されないのがナゾに思えて仕方がない。
二十年ほど前にうつ病寸前のわたしはこの本を読んで心の革命を経験して、自分がしてきたことの愚かさをようやくわかった。それまで自己啓発のウェイン・ダイアーやノーマン・ピールの「思考は現実ではない」という意味の理解をなんとか自分のものにしようとしていたが、この本こそまさに求めていた本そのものだと思った。
その後、リチャード・カールソンの『小さいことにくよくよするな!』は全米で500万部のベストセラーとなり、日本でも98年に170万部のベストセラーとなった。だが、この本の薄さ、軽さは、この思考の原理について説明した『楽天主義セラピー』にはとうてい及ばないもので、こちらこそロングセラーとなるべき本だと思うのに、軽い自己啓発のコラムニストとして消費されて終わってしまったのかもしれない。カールソンの45歳というとつぜんの早逝が惜しまれる。
カールソンは思考が感情をつくっており、悲観的な気分のときに考えるとますます悲観的な思考をよびだして、よりいっそうみじめな気分になるということを、論理的に詳細に説明してくれた。われわれはこの原理さえ知らず、いや思考があることすら忘れているのではないのか。
「彼は、自分が思考を生み出していること、そしてその思考が不幸の源であることに気づいていませんでした。彼は、思考は自分の中からではなく、まわりの出来事から生まれると感じていました」
われわれの社会は、手放しの思考を推奨する社会であり、思考しないことは痴呆であり、隷従だと教えられる社会である。思考は賢明であり、知性を付け足すものであり、すべてのものごとや過去は思考の検討をおこなわなければならない。そのことによって、思考が感情や気分を生み出すことを知らないわたしたちは、否定的で悲観的な感情をずっと自分に浴びせつづけることになるのである。
思考と感情のつながりを知らないばかりに、わたしたちは世界の犠牲者のように思い、自分の思考が自分を傷つけていることを知らずに、他人や世界の責任にしつづける。思考と感情の因果を知らないことは目隠しをされて、自分で自分をつついているようなものだ。
「重要な点は、想像によって再現された喧嘩は、あなたが現に生きている今では、たんなる思考であり、頭の中で創られた出来事にすぎないということです。
思考は現実ではないということ、つまり、思考はたんなる思考でしかなく、思考そのものが自分を傷つけることはないのだとわかってくると、あなたの人生は今日から変わりはじめます」
わたしたちは思考にすぎないものを、現実やリアルに迫るもの、真実や実体あるものとして経験している。この実体視をはがして、思考は思考にすぎない、たんなる考えや想像にすぎないと心の底から実感するには、ずいぶんとこの考え方をなじませるまでに骨を折らなければならないほど、思考のリアリティの世界で生きている。
わたしはこの「思考は思考にすぎない、たんなる想像にすぎない」ということを実感するために、その後トランスパーソナル心理学や禅・仏教などの書物を漁らなければならなかったのだが、それだけ思考の実体化という習慣にどっぷり首まで浸かっていたわけだ。この思い込みに気づかないまま、一生を送る人だってたくさんいることだろう。
この本は仏教でいう「悟り」をどこまでも言葉と論理で説明しきった本といっていいかもしれない。わたしたちは思考の現実視という過ちから、かんたんには抜け出せないのである。
思考は思考にすぎない、たんなる想像にすぎないということから、落ち込んでいるときにその問題や解決をはかるために思考をもちいれば、よりいっそう火に薪をくべるようなことになるという原理も、カールソンは教えてくれる。「悟りの説明書」のようなものである。
そのような歴史的な重要書と思われるものが、いまでは絶版になって文庫本ですら手に入らない。どういうことなんだろうと思う。
できれば、小学校のころから思考と感情の因果、思考が見せる現実はじっさいには存在しないことを教えられていたら、わたしのその後の苦悩多き思考好きな人生はいくらか救われたものになっていたかもしれない。
大多数の人は思考の現実視とそのリアリティの苦悩の世界に閉じ込められているのではないのか。感情は他人や出来事からやってきて、自分の思考がそれをつくりだしているということを知らないし、気づかない。苦悩の泥沼に閉じ込められたままだ。
われわれの社会は思考しないことは痴呆であり、隷従と脅される社会である。そうやって自分を責めさいなます思考の世界のとりこになって、思考の実体化に囚われて、苦悩の泥沼におちいる。
思考を捨てることは、自己啓発や新興宗教のアブナイ教義である。「思考こそがわたし」、あるいは「感情こそが自分のアイデンティティの核をつくる」と信じている社会である。カールソンが指摘するような思考と感情の過ちのループに閉じ込められたままだ。
科学や物質消費社会というのは、思考の存在を忘れて、外界や物質の改善にしあわせを求める社会である。モノを買ったり、物質の改善をおこなうことが人類がしあわせになる唯一の道である。そうやって思考がもたらす苦悩については等閑に付される。
われわれはハンドルのないクルマに乗せられているようなもので、あちこちにクルマをぶつけて、おまえが悪い、おまえが変わるまでわたしの心は晴れないといっている。こういった過ちに陥らないためには、思考と感情の原理というものをしっかりと知っておかなければならないのである。
この本ほど人生を変える本はないと思う。




