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03 05
2017

幻想現実論再読

自分の思考こそが加害者――『どう生きるか、自分の人生!』 ウエイン・W. ダイアー

4837907857どう生きるか、自分の人生!
―今日を後悔しない生き方 ダイアー博士の「生活哲学」 (知的生きかた文庫)

ウエイン・W. ダイアー Wayne W. Dyer
三笠書房 1995-12

by G-Tools

483795572Xどう生きるか、自分の人生!
―実は、人生はこんなに簡単なもの

ウエイン・W. ダイアー Wayne W. Dyer
三笠書房 1999-09

by G-Tools


 この本をはじめて読んだのはもう二十年前ほどになるだろうか。つぎのような一節を理解して、腑に落ちるまで納得させるのにどんなに苦労したことか。思想や考えることが好きで、過去の反芻ばかりして、頭の中のことを「事実化」、「現実化」していたわたしにとって。

「あなたが自分の考えと現実が同一のものだという確信のものに生活するとしたら、自分に課した倉庫いっぱいの苦悩を受け入れるはめになる。

人間の頭の中以外には、恐ろしいことはない。

あなたの考えがあなたのためだけに、それをいやなものにするのである」



 頭で考えたこと、思ったことを即「事実」や「ゆいいつの現実」だと思っていたとうじのわたしにとって、この思い込みをはがすのはいかにむづかしかったか。こういうストア的な思想を知らない人はいまでも多くいると思うのだが、気づけば、いかに自分が愚かな心の習慣にはまっていたか、嘆かわしいほどである。

 ウェイン・ダイアーの『自分のための人生』がベストセラーになったのは1976年であり、いまでは全世界で3000万部売れたことになっている。ストア哲学や唯心論的転回はこのころからはじまっており、そして知らない人は知らないままの思想かもしれない。『どう生きるか、自分の人生』は1995年の出版。

 科学と唯心論はシーソーの関係のようになっており、世界や他人を変えないと幸福になれないと説く科学は、思考や心を変えることによって安寧を説く唯心論が増長すると、物質的改善や物質消費に慰めを求める求心力が減退してしまう。

 科学というのは自分の外側に外界があり、他人や世界が不快なことをしたから、ちょくせつ自分が不快になったのだと思う素朴な思い込みから発している。唯心論のように他人や世界に思うことは自分の心であり、その現実を選択しないと、不幸を背負うことになるといった考えは、だれかから教えてもらわないと、科学的世界観のなかで、伝わることは少ないのかもしれない。

 他人や世界からちょくせつ感情がやってきて、それらを変えないと幸福になれないと科学は教える。唯心論を知ると、自分から不幸や不快な感情をみずからひきうけているように見えるようになる。

 この本ではそのような「現実」を選べないばかりに世界や他人から不幸をうけとってしまうことを「被害者」というキーワードで如実に見せてくれる。思考を選べば、わたしたちは外界の犠牲者にならずに、みずからの安寧や幸福を選択できるのである。

 でもその選択ができることを知らないばかりに、外界から被害をうけつづけると信じる被害者を生んでしまうのである。まさしく自分の思考こそが加害者なのに、世界や他人が加害者だと思いつづけるのである。

 ただ、この本ではウェイン・ダイアーは腹のたつことがあったら肩をすくめて忘れなさいといっている一方、あなたはどんなに被害者になっているかとムカムカした気分を植えつけ、他人やとくに店員にたいして自分の言い分を聞かせるまでがんとゆずらないクレーマーのすすめも説いていて、それこそあなたの説く「被害者」の役割ではないのかといいたくなるが。

 この本を読んでいるとずいぶん自分が被害者なのかと自覚させられ、ムカムカした気分をかもしだされる。この本を読んだ当時、職場で怒り出した拙い思い出が甦る。読みかえしたいまも、イライラが醸成されるなと感じて、鏡のようにイライラした人や出来事を見つけやすくなってしまう。

「過ぎ去ったこと、どうしようもないことは、悲しんでもどうにもならないことである。

なおらないものは、気にすべきではない。やってしまったことをやってしまったことだ」



 わたしたちは思考や想像力のおかげで、ああすればよかった、こうすればよかった、もしああしていたら、もし、もし、と永遠に変えられないことに思考を費やすようにできている。時間や空間を飛び越えられる思考や想像力のおかげである。でもその想像力にすぎないものを「実体化」してしまい、その「現実」に自分を追い込んでしまうことになる。ストア哲学や仏教は二千年前から人間の愚かな想像力の戒めを説いてきたのだけどね。

「「なんでまたあんなことがいえるのだろう!」「私をこんなにかっかさせる権利など彼にはない!」「非常識人に出会うと気分が悪くなる」などということによって、自分自身を他人の行動で犠牲にしてしまう。これはあなたの感情の糸を、あなたが嫌っている人間に操作させているのと同じことである」



 どうだろう? こういう怒りに身に覚えのない人はいないだろう。だけど、唯心論を知るとみずからが犠牲者になっていることを知れるのであり、さらに愚かなことにそういうかっかとした怒りをもたらす思考を選択しているものは自分自身にほかならず、自分自身が加害者だったのだと気づくようになるだろう。

 われわれは思考や想像力の戒めを知らないばかりに、自分で殴っておきながら、他人が殴ったと自分で思いつづけるのである。

 もちろんこの態度には敗北主義や退却のような批判もできるだろう。外界を変えようとしてどれだけ不幸を積み重ねてきたかの違いによって、態度を決めることもできるのだろう。


自分のための人生 (知的生きかた文庫)老子が教える 実践 道の哲学ザ・シフトグルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門マルクス・アウレリウス「自省録」 (講談社学術文庫)


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