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02 22
2017

幻想現実論再読

幻想現実をひきはがせ――『ものぐさ精神分析』 岸田 秀

4122025184ものぐさ精神分析 (中公文庫)
岸田 秀
中央公論社 1996-01-18

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 約二十五年ぶりくらいに読みかえす。といっても岸田秀の「唯幻論」や「共同幻想論」ほどわたしに影響をあたえた思想はなく、この幻想現実をはがす探究にずっと費やしてきたといってもおかしくはない。

 ハラリの『サピエンス全史』が文明の発展理由に人類のフィクション能力をもちだして脚光を浴びたことにより、ふたたび「共同幻想論」をその後の検討もつけくわえるかたちで、再検討したくなった。しばらくは共同幻想論、ならびにトランスパーソナル心理学あたりを、この二十数年の結果をへての再検討の時期に入りたいと思う。

 岸田秀はこれが「唯幻論」「共同幻想論」の決定版だという本になかなかめぐりあえず、このエッセイを集めた本も共同幻想論だけをびっしりと語った本ではない。

 岸田秀は客観的には共同幻想のしくみを語るのだが、どのようなものが共同幻想であり、具体的にどのようなかたちをしているのか、なかなか語らない。共同幻想を自明な前提に語っているところがあり、その前の説明部分をしっかりとしてくれと思いたいところがある。

 なにより岸田秀の限界はすべてが「幻想現実」や「共同幻想」というのなら、それに囚われているわれわれはどうやったらその幻想現実からひきはがすことができるのか、解放されるのかをほぼ語らない。

 その幻想現実から引きはがす方法を説いたのが、仏教や禅であると気づくまでにはあと十年近くにリチャード・カールソンとかウェイン・ダイヤーの自己啓発の「思考は現実ではない」という説明に出会うまでかかった。つまり科学信仰と宗教忌避の考えがあるから、仏教がそんな幻想現実のひきはがしをおこなっているとは思わなかった。ぎゃくに神や仏を信仰しろという教えと思っていたのだが、仏教は幻想からの離脱を説いた考え方であったのである。

 つまり岸田秀の唯幻論というのは、物質主義の時代から精神主義の時代の変わり目を説いたのである。ぎゃくに岸田秀は幻想我により現実我の分離や危機にも気づいていたのであり、むしろ唯幻論は全能感をみたす幻想我の暴発をまねく思想でもある。

 「ナルチシズム論」で「幻想我の実現をはばんでいる現実の世界を恨んでいるのである」というように、幼児の全能感をとりもどしたい現実から乖離した幻想我は、たえず暴走の危機におちいっており、それが現代日本の右傾化と日本賛美の時代潮流と重なっていることがなんとも悩ましい。

 岸田秀が心理学をこころざしたのは、強迫神経症に悩まされていたからであり、献身的な母親と思っていた女性が、自分の思い通りにしたいエゴイズムの女性であったと気づいたときにその症状がウソのように消えてしまったという。

 つまり岸田秀は自分が思っている観念に追い込まれたり、客観的現実と思っていることが自分を強迫的に追いつめる経験をしたからこそ、現実は幻想だという思想を必要としたのであり、現実と齟齬をきたさないとなかなか必要に気づけない思想ともいえるかもしれない。中島義道も自身の死の恐怖から逃れるために、客観的現実の幻想性をはがさなければならなかったわけで、世界の事実を知っており、それとの齟齬をきたさない者には必要とされない思想かもしれない。かれらは宗教を通さずに幻想現実を暴露する道を選んだ人たちである。

 「世界の事実を知っている」という者たちと、それは幻想にすぎないという者たちの対立は、現代でも科学やテレビの「こちら側」と、宗教の神に隷属する「あちら側」の対立でもおこっており、いずれも「事実を信じる」人たちの隷属はおこっているのだけどね。

 世界を事実だと思う人たちにそれが幻想にすぎないと説けば、世の争いは解けるかもしれない。だけど、幻想我はそれを解きたくないのである。世界を事実そのものだと思い込むといろいろ追い込まれることがあると思うのだが、そういう追い込まれた経験をしない人は、世界は事実そのものだと思いつづけたいものかもね。自分の「客観的現実」と思われるものに追い込まれないとね。

 二十数年ぶりに読みかえして、自由闊達なアイデア噴出がちょっと奇妙に思えるところもあったが、ほんとに鋭い洞察力があちこちに発揮された本であって、いちばん鋭い考え方は、「時間と空間の起源」かもしれない。

 「時間は悔恨に発し、空間は屈辱に発する」

 人は全能だった幻想我から引き離されてゆき、「人間は憎悪のうちに現実を発見する」。空間はその屈辱感によって発明される。時間と空間が壮大なフィクションであるということに気づくには、人は想像力にまみれた幻想現実の住人に長らくひたりつづけて、そこからもう出ることができなくなっているのである。

 仏教や禅が、幻想現実は思考によってたえず産出されており、そこから抜け出すために思考の根を断てといったのだが、この一歩に踏み出すまでに、現代のわれわれはあまりにも世界の事実を信じ、宗教の忌避感をつちかわれているのである。


サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福リチャード・カールソンの楽天主義セラピーどう生きるか、自分の人生!―今日を後悔しない生き方 ダイアー博士の「生活哲学」 (知的生きかた文庫)唯幻論大全史的唯幻論で読む世界史 (講談社学術文庫)


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