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2016

右傾化再考

医学の暴走と排除?――『健康帝国ナチス』 ロバート.N. プロクター

4794221509健康帝国ナチス (草思社文庫)
ロバート・N. プロクター Robert N. Proctor
草思社 2015-08-04

by G-Tools


 ナチスは20世紀最大の悪をなしたのであり、ナチスがおこなったことはすべて悪とみなすことはかんたんである。ナチスに近づくことはそれだけで悪である。だけど、ナチスの悪は20世紀世界を規定する「へそ」のようなものになっており、閉塞感の打破をもとめるものがそこへちかづいてゆき、転覆をおこなえる象徴のようなものになっている。

 世界システムのタブーの結び目は、さかさまのものをこの世に現出させるためのスイッチのような役割を担う危険なものになってしまっている。

 この本ではナチスドイツ時代にかつてないほどガン撲滅とタバコ撲滅の運動が盛り上がり、戦後の英米の先進医学がもたらしたものと思われる流れを、ドイツ30-40年代にひき戻す。ではその先進医学はすべて悪だったのかとはいえないわけで、ナチスの絶対悪視の一枚岩的な見方へのゆさぶりをかける。

 著者は科学史家であり、頻出する人名や事柄が専門的になりすぎて、一般読者にはそこまで必要な情報かと思えるほどの詳細さをもっている。そこを省いた要点だけをとり出すくらいの本でもよかったと思うのだけど。

 ナチス時代にはかつてないほどの健康志向が高まり、ドイツの工場の空気と水からアスベストや鉛を除去しようとした。ドイツ国民を不健康や病気をもたらすものから、いっさいを遮断しようとするものである。そしてそれはドイツ国民からユダヤ人を一掃しようという考えと同じ発想である。

 ガン撲滅を誓った国は、「社会のガン」ともいわれるユダヤ人や共産主義者も一掃しようとした。遺伝的欠陥をもつものも『国家のガン」であって、ガン撲滅は国家を病魔におとしいれるものをすべて撲滅しなければならないと考えた。医学用語は人種政策上好ましくない集団の非人間化にもちいられたのである。

 エックス線に不妊の悪影響が認められるようになると、国家に貢献しないものはレントゲンをあてることで断種をおこなえるという提言もおこなわれる。

「病気を排除しようとする努力はしだいに、工場から病人を排除し、病院から病人をなくし、そして時には病人そのものをこの世からなくす動きへと変わっていった」

 ドイツ国民の肉体はドイツ国家の資産と考えられるようになる。そして「おまえの身体は総統のもの」といわれるようになる。「自分の身体をどうしようと自分の勝手」というマルキシスト的概念と対極をなしてゆく。

 1933年には「ドイツ人の遺伝原形質」への障害という名のもとに、「慢性アルコール中毒者」の断種はおこなわれる。断種法はドイツ国民の35万~40万人おこなわれたといわれており、その5~6%が飲酒癖によるものだった。

 禁煙規制は1938年から法規制がはじまり、職場や病院、空軍基地などが禁煙になってゆく。44年には列車・バスの全面禁煙がおこなわれる。タバコは「世界平和の敵」であり、「タバコというテロリズム」「タバコ資本主義」と銘打たれて、「国民の敵」とされた。

 医学論文では肺ガンの三分の一が非喫煙者であったから、タバコだけが原因ではないと認めるものもいた。鉛の粉塵を吸う職業は当時かなりあり、鉛の吸引ががん発生の促進要因と結論づける者もいた。

 アメリカでは1920年代に反アルコール・タバコ運動が組織的におこなわれていたのだが、禁酒法と節煙運動での禁欲への反動が30年代におこった。大衆は根拠薄弱なデマまがいの警告に気づき、医学界からの批判は鳴りをひそめるようになった。もうピューリタンや禁欲主義者のいうことは聞かないという風潮を生んだ。ドイツでは50年代に入るまで節制や禁欲の反動はおこらなかった。

 戦後、反タバコ派リーダーの多くが戦争犯罪人として裁かれた。タバコ撲滅を訴えるリーダーは、同時に心身障害者抹殺の「安楽死計画」を推進しようとしていたり、精神病院の患者の抹殺を要請していたりした。この同時進行だった意味の大きさは考えさせられるものがある。

 医学界のガン撲滅は、不健康者や働けないもの、ユダヤ人などの「社会のガン」撲滅のアナロジーである。まったく同一視、同時進行の事態がすすんでいたのである。身体のガン撲滅と国家のガン撲滅は、手を携えておこなわれた。

 この事態を見るに、医学界の暴走、医学界の狂気化がおこっていたといえるかもしれない。それが国家主義や民族主義、人種主義のイデオロギーと結びついたとき、医学は生命の審判にも手を出してゆくことになる。医学界の断罪はどの程度おこなわれたのだろうかと思わずにはいられない。

 ガン撲滅や健康を叫ぶことは、だれにとっても絶対善や先進の進歩と思われるものである。健康に善なことを推進してどこに悪いことが、不都合があるのかと疑われもしないだろう。

 だけど健康を求めることはぬぐいがたく健康の悪と見なされるものの排除と結びついている。ナチス時代におこなわれたのは、国家の医学である。われわれは医学というものにもっと警戒と不審を抱きつづけるべきなのかもしれない。



精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー (講談社現代新書)ナチスドイツと障害者「安楽死」計画第三帝国と安楽死―生きるに値しない生命の抹殺優生学と人間社会 (講談社現代新書)人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫)

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