HOME   >>  主体性の剥奪  >>  狂気と理性の同居――『ある神経病者の回想録』 ダニエル・パウル・シュレーバー
12 18
2016

主体性の剥奪

狂気と理性の同居――『ある神経病者の回想録』 ダニエル・パウル・シュレーバー

B016PNVMXEある神経病者の回想録 (講談社学術文庫)
ダニエル・パウル・シュレーバー
講談社 2015-10-09

by G-Tools


「幼児が泣いている最中、もしくは手に負えない状態にある時は、絶対に、欲求をかなえてやってはいけない。

わけもなく不機嫌になったり、ふさいだり、ふてくされたりすることが、ひじょうに悪いことだということを、子供に気づかせることは、きわめて重要であり、このことに気づいた子供は、一生、情緒の安定を保つことができるだろう。

このようなものは、見つけ次第、直ちに気分転換、もしくは直接的な抑圧手段によって、抹殺されなければならないし…」



 高名な教育学者の父が書いた教育書の一節である。そのおかげで長男は自殺、次男でこの著者のダニエルは発狂、娘はヒステリーになった。教育とその結果としての息子の症例としてこの書を読みたかったわけであるが、その因果を読み解けるほどやさしい書ではない。

 「世紀の奇書」とよべるほど異常な幻覚世界、妄想世界がえがかれる。神的な世界、奇跡にみちた啓示に撃たれた世界と本人は思っているのだが、やはり狂人の妄想・幻覚にしか思えない、ときには笑えてしまう世界観がえがかれる。

 神の神経である太陽光線が自分にやってきて語りかけ、魂の劣化であるチビ男が頭を上を無数にはい回り、まぶたの開閉をおこない、鳥たちが話しかけ、精神科医の魂が神経つながりによって押し寄せ、サソリが頭の中に入れられ、魂の官能的快楽のために身体が女性化してゆき、現実の人間は「束の間に組み立てられた男たち」と思い、いっときも止まることのないおしゃべりのために咆哮したり、罵倒しなければならない、といった異常な世界像がえがきだされる。

 このような回想録を読むと完全に頭のおかしい統合失調症に犯されていたと思うしかないのだが、付録の禁治産に対する訴状を読むと、とてつもない高度な論理力、整合性、思考性は維持されていることがじゅうぶんにわかる文章がえがきだされていて、むしろシュレーバーのこの妄想世界は現実に感じられたものではないかと思えるほどの転倒した事態にさらされる。

 いちばんほっとするのは鑑定医のヴェーバー博士により鑑定書であり、ここにきてようやく外から見た客観的なシュレーバー像が報告される。やっぱり統合失調症といえる精神病に犯されていたのだと思える。外界から遮断され、内界の世界に没入した病的なすがたはやはり精神病特有のものである。

 それでもシュレーバーの客観性、論理的構築力の維持は芯がとおっており、自分の世界像が他人には理解できないであろうことが確実に、なんどものべられる。かれの現実においては真に存在するものである。そしてかれには、どんなに論理的能力をもってしてでも、疑いようのないものなのである。

 それほどまでにかれの幻覚世界、妄想世界は真に迫ったものだったのだろう。論理的能力と幻覚世界の同居、これが統合失調症の症例なのだろう。宗教的信念におかされたひとりの男ともいえるのだが、内界に没入する異常な姿はやはり精神病者とよべるべきものなのだろう。

 狂気の世界と論理的思考性がこんなに同居する稀有な書はそうないだろう。それは統合失調者が幻覚をまったく疑わずに真に存在するものと思うすがたと同じである。統合失調者にとっては集団ストーカーや集団監視のような迫害妄想が、現実の論理性と同居して妄想されるわけだが、シュレーバーのばあいにはあまり迫害妄想が強いようには思われなかった。

 シュレーバーの幻覚世界は幼いころに父に迫害された世界を模しているのだろうか。みずからの感情や意志を徹底的に抹殺されつづけたこのひとりの男は、その迫害された世界を幻覚として立ち上げたのだろうか。

 シュレーバーは「描き出し」の能力があるといい、マッターホルンの風景や会いたい人が目の前に存在しているかのように描き出すことができたといっている。これはずっとつぶやくつづける頭の中の声に抗するための安らぎになったといい、そしてその能力が圧倒する狂気の世界をも現出させてきたのだろう。想像や幻覚がリアルに現実になる世界を、かれは体験したのである。

 600ページの長い書であり、狂気と法律的論理性にみちた書なので読み進めるのにひじょうに疲れるものであったが、狂気と理性の狭間がひじょうに揺さぶられる書であるのはまちがいない。

 フロイト、ラカン、カネッティ、ドゥルーズ&ガタリが興味をもち、分析した稀有の書であるのはうなずけるところである。フロイトはリピドー備給を神の光線に読みとったそうだが、教育学者の父との関係においてこそ、この狂気は読み解かれなければならないものだと思う。家族について言及した第三章は削除されて読めないのであるが。



冷血の教育学―だれが子供の魂を殺したか魂の殺害者―教育における愛という名の迫害シュレーバー症例論 (中公クラシックス)群衆と権力 下  叢書・ウニベルシタスアンチ・オイディプス 合本版 資本主義と分裂症 (河出文庫)


関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top