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12 02
2016

恋愛至上主義社会論

恋愛主義はどこから強迫になったのか

 男女の恋愛離れが深刻になり、独身男性の7割、独身女性の6割が交際相手のいない時代になった。


 独身男性7割「交際相手いない」 「性経験なし」も増加 産経ニュース 

 「恋愛結婚が当たり前」だった時代の終焉と、これから シロクマの屑籠


  80~90年代の恋愛ソングの大流行、純愛ドラマの大ブーム、「恋愛しなければ人にあらず」の時代から隔世の感がある。恋愛は「しなければならないもの」、恋愛をしないと「あいつはダメなやつ」と侮蔑される時代にくらべて、自由になったのか、それとも「できないやつ」が多数者になっても開き直れる時代になったのか。

 恋愛はそもそも自由や解放のためになされるべきものであった。それが強制的、強迫的なものになり、いつしか恐怖や強迫でおこなわれるものになっていった。クリスマスのカップル強制の雰囲気が、日常社会をおおっていったわけである。

 自由に選択してもよいはずのものが強制となってゆく時点で、恋愛は強制労働的なものに堕していった。あのころの反発をおぼえているころの身としては、いまの独身男女は勝利なのか、敗北なのか。

 問題にしたいのは、自由が強制に転嫁する時点である。よきもの、すばらしきものが、ある時点で、強制的、強迫的なものになる。恐怖を利用した慣習や行為になぎ倒されることほど、屈辱で腹立たしいこともない。多くの人はそれでも恋愛強制の雰囲気にのみこまれて、恋愛をおこない結婚していったのだろうが。

 恋愛はマウンティングや侮蔑のツールに使われやすい。「まだ経験していないのか」、「彼氏、彼女がいない」、「童貞」や「処女」は人を侮蔑する攻撃になる。「もたないもの」は侮辱され、軽蔑される立場に立たされた。侮蔑される恐怖に駆り立てて、若者は恋愛に駆け込んだ、というか逃げ込んだといった表現が近い。それほどまでに恋愛の恐怖感は蔓延していたのである。

 ひとむかし前の団塊世代も結婚しない独身であることに恐怖感をいだいていて、結婚していないと「あの人はおかしなところがある」といって後ろ指をさされないために大多数のものが結婚した。「おかしなところ」というのは、「性的異常」や「同性愛」をニュアンス的にふくむものであった。

 恋愛や結婚は、攻撃されたり、排斥されないための「証明書」や「パスポート」のような「駆け込み寺」の様相を呈していた。恋愛や結婚は、恐怖からの逃走によってなされることが多かったひどいシロモノだったのである。

 「みんながするから、しなければならないもの」はこのような恐怖を利用しておこなわれる。その理由や妥当性はまったく吟味されなく、ただ「みんながしているから、しなければならない」と強制される。

 この恐怖に負けるから、人々は慣習やみんながしていることをおこなう。そこに自由意志や自由選択はない。ただパヴロフ的な恐怖からの逃走があるだけである。

 この恐怖からの解放がない限り、人は慣習や多数者に自由を奪われてゆくだろうし、ロボットや機械のように多数者の反復行動の形骸になる。この強制に警戒し、たちどまり、この恐怖の検討がおこなわれないかぎり、人は社会の奴隷やロボットとなりつづけるだろうし、これからもくり返されるだろう。

 商業や産業は、人々の恐怖を煽ることによって拡大する面がある。コンプレックスや容姿、もたない屈辱感などを煽って、人より劣っていることの恐怖を攻撃し、そこに商業的拡大をもとめる。われわれはこの恐怖産業についての警戒心やリテラシーをもつことが求められる。

 劣等感や恐怖心にかんたんになびいてはならないのである。改善や解放をすぐに求めずに、その恐怖心の源、原因がどこからやってくるのか見極めるゆとりが必要なのである。

 強制や強迫が世の中をおおっているとき、オルタナティブは趣味や産業の面でおこなわれる。たとえばオタクやアニメは恋愛主義や恋愛市場からの逃走をたぶんにふくんでいるし、趣味の多様性は恋愛以外の生きる楽しみを増やしたし、コンビニや家電の充実は家事労働の重要性を減らし、家事結婚の必要性を減らしていった。

 なにより結婚というのは男性にとっては、労働やお金をもっと稼がなければならなくなる負債を増やすことである。女性にとっては無銭労働によって家事や育児の負担に人生を奪われることである。そういうことで結婚、ひいては恋愛にたいする躊躇心というものを増大させていったのだろう。

 恐怖によって駆り立てられていた恋愛や結婚というものは、趣味や商業の発達によって、その成立根拠の根の部分をそぎ落としていったのである。気軽にできる趣味、どこでも気軽に手に入る食べ物といった産業の発達によって、結婚も恋愛も、強制によるインセンティブをそがれていって、若者の恋愛離れや晩婚はすすんでいった。

 恋愛結婚というのは人々に恐怖をあたえ、排斥や侮蔑の恐怖からの逃走をうながし、それはオルタナティブ的な産業の勃興をもたらし、自壊していったというのが、こんにちの恋愛離れにあらわれているのかもしれない。

 恐怖によって強制される慣習や多数者の教訓を、この恋愛主義の勃興と終焉は見せていったと思われる。侮辱や軽蔑を恐れて、多数者やみんながしているからすることは、これからも社会につづいてゆくことだと思う。恐怖から逃走して多数者になびくとき、この恋愛主義のサンプルを思い出してほしいものである。


▼恋愛主義というのは、まことに「自由からの逃走」「多数者の専制」のサンプルであったと思う。
日本の童貞 (河出文庫)萌える男 (ちくま新書)個人と社会―人と人びと自由からの逃走 新版自由論 (岩波文庫)

恋愛しない若者たち コンビニ化する性とコスパ化する結婚 (ディスカヴァー携書)結婚しない男たち 増え続ける未婚男性「ソロ男」のリアル (ディスカヴァー携書)(090)未婚当然時代 (ポプラ新書)非婚ですが、それが何か! ? 結婚リスク時代を生きる恋愛の社会学―「遊び」とロマンティック・ラブの変容 (青弓社ライブラリー)

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