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11 20
2016

主体性の剥奪

人生の主導権をとり戻せ・読書まとめ

 自分でもなにを問いたいかわからない「主体性の剥奪」というテーマで、ジャンルをまたいで本を読んできたが、問いたいことは「人生の主導権、主体性をとり戻したい」ということではないのかとまとまってきた。

 さいしょは「やらされ感とはなにか」という重苦しい気持ちから出発してモチベーション論を読み、つづいて親子虐待などの親子関係論、そして教育論と手をのばしてきた。自分の意志や自由が奪われる関係を見出そうとしていた。

 モチベーション論では、エドワード・デシの『人を伸ばす力』において、内発的動機づけと外発的動機付けという二項が参考になった。この本においては、モチベーション論では出てくると思わなかった親やだれかの期待に添う自我の「いつわりの自己」という概念が出てきて、この問題こそ自分の問いたい核心な気がしたが、まだ明確な問いが出てこなかった。


4788506793人を伸ばす力―内発と自律のすすめ
エドワード・L. デシ リチャード フラスト
新曜社 1999-06-10

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 つづいて毒親論や虐待論あたりを読んだ。こどもの意志や主体性を徹底的に奪ってしまう親子関係、意志をたたきつぶされる親子関係について考察を深めたかったのだと思う。いぜんアダルトチルドレンの文脈としてアリス・ミラーや加藤諦三、交流分析本を読んでいたころがあったが、問いの角度はかなり違ったものだった。というか、本筋の問いからはずれることがしばしばだった。

 意志をたたきつぶして、親への服従を徹底的にたたきこむ。このような「支配-隷属関係」が、虐待や親子の精神病理を生み出すのではないだろうか。意志や主体性を奪われる子どもがどのような病理を背負うことになるか。

 このジャンルでとくに印象に残った本として、アリス・ミラーの『魂の殺人』はとうぜんとして、長谷川博一の『お母さんはしつけをしないで』『殺人者はいかに誕生したか』、高橋和巳『子は親を救うために「心の病」になる』がよかった。


478851320X魂の殺人 新装版
アリス・ミラー
新曜社 2013-01-17

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4794218044文庫 お母さんはしつけをしないで (草思社文庫)
長谷川博一
草思社 2011-02-05

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410137452X殺人者はいかに誕生したか: 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く (新潮文庫)
長谷川 博一
新潮社 2015-03-28

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4480431586子は親を救うために「心の病」になる (ちくま文庫)
高橋 和巳
筑摩書房 2014-04-09

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 親の期待や願望に答えるうちにやがて生まれてゆく「いつわりの自己」。自分の意志や望みではないものの仮面を、親や世間の欲求にこたえるうちにしだいにかむってゆくわれわれ。われわれはどんなに自分の意志や願望でないものを自分独自なものや自分由来のものと信じて生きてゆくことか。

 そういう意味でいうなら、学校教育もまさに自分の意志をたたきつぶして、だれかの要求にこたえることだけを教え込む機関ではないだろうか。つくられてゆく「いつわりの自己」をもっと探求するなら、教育思想史も探らなければならないのだが、一般的な教養書のたぐいには少なくて、とまどっている。

 ハインツ・マレの『冷血の教育学』や泉谷閑示の『反教育論』に求めているものを見つけられたくらいだ。


4788505444冷血の教育学―だれが子供の魂を殺したか
カール‐ハインツ マレ Carl‐Heinz Mallet
新曜社 1995-12

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4062881950反教育論 猿の思考から超猿の思考へ (講談社現代新書)
泉谷 閑示
講談社 2013-02-15

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 思えば、わたしの知識探求はずっとこの支配からの解放、他者にのっとられた状態からの離脱を無意識に求めていたともいえる。

 マスコミや世間からの強制や価値観というものにたいそう腹を立てていたし、慣習や制度といったものはずっと敵視してきた。社会学や大衆社会論といったものに興味をもったのも、そういう社会からの圧力・強制から脱したかったからだ。

 岸田秀の「共同幻想論」あたりにともかく魅かれたのも、社会的慣習・規制といったものの相対化、無化をしたかったからなのだと思う。社会のルールは恣意的に決められたルールにすぎない、そう捉えることによって、それらからの解放をめざした。

 「思考を捨てる、頭を空っぽにする」というトランスパーソナル心理学や禅仏教に興味をひかれたのも、自分の考え方にプログラミングされた社会的な思考法や親などから植えつけられた思考法を、消去・除去したかったからなのだと思う。

 「やらされ感とは何か」という問いからはじまったこの問いは、親や世間から押しつけられた価値観や強制感がどのように植えつけられていったのかという形成のプロセスを垣間見るためだったともいえるかもしれない。


 われわれは生まれた時から、自分の意志や願望のかわりに、親や世間からの考え方や価値観を押しつけられて、あたかも自分が願望しているかのように思い込みされてその世界観を生きる。

 現今の社会システムに合致したかたちにわれわれはつくられてゆく。疑問や不一致、自分の願望と違ったものであったとしても、それをとうぜんのものとして納得する自分として、形成されてゆく。われわれはほんらいの自分と違った、社会に適合する「だれか」としてつくりあげられてゆくのである。

 子どものときから人は何度かの反抗期をへて、親と違った自分の意志や自分らしさというものをとり戻してゆく試みをおこないながら成長してゆく。親の要求や願望をはねかえしながら、自分独自の存在として成長する。

 親離れや親殺しは人が大人になるさいの通過儀礼である。だけど、社会から離れること、社会を殺すことは、多くの人はなかなか試みられずに、社会に殺されること、社会に適応するだけを要請されて、社会で生きてゆくのではないだろうか。

 その社会の要請や価値観を脱いだり、反抗したりすることで、自分独自の存在に戻ってゆくことが、人間の成長の課題といえないだろうか。社会からつくられた自分から、しだいに本来の自分になってゆくこと、それこそが人間の成長目標といえないだろうか。

 手塚治虫のマンガに『どろろ』という作品がある。親が悪魔と契約したために妖怪に奪われた自分の身体をとり戻してゆく百鬼丸というヒーローがえがかれていた。われわれの人生というのはまさに百鬼丸そのもので、身体のパーツをとり戻してゆくことが一生の課題ではないだろうか。代用品が自分そのものだと思う人もたくさんいるようだが。


4063737179どろろ(1) (手塚治虫文庫全集)
手塚 治虫
講談社 2009-11-11

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