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11 02
2016

主体性の剥奪

優越をめざす社会の落とし子――『騙しも盗みも悪くないと思っている人たち』 セイムナウ

4062098830騙しも盗みも悪くないと思っている人たち
スタントン・E. セイムナウ
Stanton E. Samenow
講談社 1999-09

by G-Tools


 おもしろくて、ひきこまれて読んだ。犯罪者像のちょっとした転換となると思うのだが、アメリカでは84年、日本で99年に出された本であり、この考え方の影響はどうなっているのか気になる。

 ふつう犯罪者は社会の犠牲者であり、更生されることが可能だといわれるのだが、このセイムナウは犯罪者は生まれつきだ、環境でも社会のせいでもない、本人の自己イメージと世界観がどうしようもないんだと、犯罪者への同情的な見方をいっさいかなぐり捨てる。累犯犯罪者のようなどうしようもないやつは、いくら社会の犠牲者のためのプログラムをほどこしても予算のムダたという。

 犯罪者に共通する基本的な自己イメージというのは、「自分は特別な存在だ、オレほど優秀な人間はいやしない、だから人が自分に従うのは当たり前だ」と思っている。誇大自己や優越者の尊大な自己像をもっているわけだ。そして、教師のいいなりになること、マジメに働くこと、法を守る市民を軽蔑して、捕まって刑務所に入れられても自尊心がゆらぐことはあっても、その基本的自己イメージをかかえたまま、シャバに出てまた再犯をくりかえす。

 社会の犠牲者である犯罪者像をたくみに利用して、精神障害で待遇や刑も軽くなることを織り込み済みで計算して、人を騙し支配することに快感をいだいているかれらは、ますます優越した自己像に磨きをかけるというわけである。

 犯罪者のくせに思い上がった自己像を思い描きやがってと思うかもしれないが、これはわれわれの社会の優越や勝利をめざす価値観そのものの写し絵ではないのか。個人的パーソナリティーや責任というより、男らしさ文化の勝利を突き抜けた先に、犯罪や罪を犯して人から憎まれ、ぶちこまれることに、ぜんぜん恐怖も罪の意識もいだかないオレは最強なのだ、という男らしさ文化の賜物なのではないかと思う。

 かれらは恐怖心を否定し、ふたをしているという記述を読んだとき、これはまるで男らしさ文化の競争ではないかと思い当たった。恐怖心を否定するから法を犯すような恐ろしいこともおこなってゆくし、自分にビビっていると思う弱いやつをどこまでもいびりつづける。「チキン」や「弱虫」といわれることをなによりも恐れ、自分そのような評判がすこしでもつくことそのものを、ひじょうに恐れる。

 最強の自分、みんなが恐れて従っていることにちっともオレは恐れないで反逆してやる、という自己像は、男らしさ文化の競争や勝利をめざした果てにあるものではないのか。著者のセイムナウは、この男らしさ文化への記述はおこなわず、ひたすら個人パーソナルティにせいにするのだが、この文化視点を欠如させたのはなにか理由があるのだろうか。

 優越自己や万能自己というのは、身に覚えもある方もいると思うのだが、たとえば学歴やスポーツの勝者、なにかの優勝者などは、このような思い上がった優越者の自己イメージを抱くのではないだろうか。そこにほかの者たちへの軽蔑や見下し、差別意識をいだくかどうかはわからないが、支配や征服に快感や優越感をいだくなら、他者を道具や利用価値でしか見ない冷酷な世界観が生まれるだろう。

 この社会での勝者と犯罪者は紙一重の自己像をもっており、他者を道具のように冷酷にあつかって成功者と遇されるサイコパスの経営者や政治家はこの世にたくさんいるのではないか。犯罪者も成功者も同じスーパー自己をめざしているという点では、同根なのではないだろうか。手段が合法内に収まるか、法を破ることに優越自己がますます増長するかの紙一重の違いかもしれない。

 そういう意味ではこの犯罪者像は、不都合な写し絵を社会にもたらすのではないだろうか。犯罪者には共通した優越自己像があるというより、この社会の成功者、優越者には共通した自己像があって、それが法に収まるか、収まらないかの違いにすぎないといえるからだ。

 まさに「権力への意志」である。かれらは学校で教えられることも、マジメにつまらない労働に耐えたり、つまらない日常に耐えることも、優秀で卓越した自分にはふさわしくないと思う。かれらは他者や世界が自分の思いどおりに動き、他者は支配し征服することに快感をいだく。それは犯罪者のみのパーソナリティーとだれがいえるのか。

 犯罪者像がひっくりかえったし、だから犯罪を社会や貧困のせいにして犯罪者を更生、矯正しようとしてきたプログラムは効果がなかったのだとセイムナウは説くのだけど、いまでもあいかわらず犯罪は社会や環境のせいだという声を多く聞くのだが、このセイムナウの主張はどうなったのだろう。84年に本が出ているのだけど、多く売れ、影響をあたえたという話は聞かない。

 犯罪者の優越した自己像がゆらぐときは、つぎのようなときである。人を支配できないとすれば、オレはいったいなんだろう? 命令しても誰も従わず、どんな願いも聞き入れてくれる者がいないとしたら、人生なんていったい何なのだろう?

 勝者になれそうもない、特別な栄光も手にできない、物事が自分の思い通りになれそうもない、と犯罪者が落胆するとき、かられの人生は大きな危機に見舞われる脅威なのである。

 このような危機を感じる人は大物やひとかどの者になろうとするだろう。それが世にいわれる成功者や有名人なのであって、犯罪者も同じ土壌から生まれて、手段や道筋が違うだけではないだろうか。なにが、かれらは犯罪者に仕立て上げたのか?


犯罪者になる子、ならない子―手遅れになる前に親ができること男のイメージ―男性性の創造と近代社会男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問名誉と暴力―アメリカ南部の文化と心理犯罪・非行の社会学 -- 常識をとらえなおす視座 (有斐閣ブックス)

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犯罪者は世間に対して何らかの劣等感を持っているものだと思っていた
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