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10 29
2016

主体性の剥奪

ラッセルの洞察眼――バートランド・ラッセル『教育論』

4003364929ラッセル教育論 (岩波文庫)
バートランド・ラッセル
岩波書店 1990-05-16

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 バートランド・ラッセルは個別的な洞察や省察が鋭くて、そちらのほうに目を奪われて、全体的なことはなにをいっていたのか、つかみにくくなる哲学者であると思う。

 ずっと寄り道をしながら話していて、「で、けっきょくなにをいいたかったのか?」がわからなくなる。あまり主張がはっきりしないで、寄り道文体が目的というべきか。

 そういう洞察から気になったものをいくつか。

「なに人も服従するすべを学ぶべきではないし、なに人も命令しようと試みるべきではない」



 服従しか叩き込まれない学校、隣人がいうことの鏡にすぎない人などが、世にはあふれている。

禁欲生活の聖者は、おのれのために快楽を捨てたあとで、他人にも快楽を捨てさせようとするが、これは自分の場合よりやさしいことである。底流にはずっとねたみがあり、そのねたみにそそのかされて、苦しみは人を高貴にするものだから苦しみを加えることは正当である、と考えるようになる」



 きみのために苦しみを与えてあげるんだという恩着せがましい人には気をつけましょう。

「私たちは、インチキにみちた世界に住んでいる。インチキなしに育てられた子供は、普通尊敬に値すると考えられている多くのことがらを軽蔑するにきまっている。

私個人としては、わが子が奴隷の技能で成功することよりも、むしろ、こういう性質をもって失敗するのを見たいと思っている」



 バートランド・ラッセルのような人にこのようなことをいわれると、世俗の価値感に必死にならなくていいんだという気持ちになりますね。

「主な動機は、事柄がなんであれ、つねに事柄そのものに対する興味でなければならない」



 ほめられることが動機になってはいけないという戒めである。

「体罰はどんな場合でも正しくない、と私は信じている。きびしい形では、残酷さと残忍さを生み出す、と私は固く信じている」



 この本が書かれた1926年には、罰の理論もすっかり一変したといっている。

「退屈だなと感じられるような知識は、およそ役に立たないものに対して、熱心に吸収された知識は、永遠の所有物となる」



 自分に興味のない知識を教えつづける学校ってなんなのでしょうね。

「読書の好きな少年や、勉強がきらいでない少年は、必ずといっていいほどいじめられる。フランスでは、最も頭のよい少年たちは、高等師範学校へ行き、もはや平均的な少年とは交わらなくなる。…知力の高い子供が神経をすりへらしたり、平均的な俗物どもにおべっかを言ったりしなくも済むようになる」



 どこでもそんなものなんですね。子どものとき、読書をしなかった理由がこんなところにあるのかも。

 ちなみラッセルは幼少期に父母を失い、厳格な祖父母に育てられ、大学にいくまで家庭教師と個人教師に教えられたそうである。反戦活動によって教壇を追われたり、投獄されたりしている。

 日本の教育って個人が幸福や十全に生きるために教育されるというよりか、企業家が人材を選別するための判断機関にしかなってない気がするね。


教育学の世界名著100選―学際的教育科学への道 (1980年)教育思想の50人民主主義と教育〈上〉 (岩波文庫)教育思想史 (有斐閣Sシリーズ)教育思想のフーコー―教育を支える関係性

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Comment

子供が興味のない知識でも、学校は教えるべきだと思う。
最初は興味がなくても、習ってみたら面白かったりする。
数学や英語が、趣味や仕事で急に必要とされることがある。
学校で習った最低限の知識に救われることもある。
よく「学校で習う英語は意味がない」と言う者がいる。
それは、発言者にとって意味がなかっただけである。
受験英語でも英字紙くらいは読めるようになる。
自分の役に立たなかった経験を、他人に敷衍すべきでない。
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