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09 30
2016

主体性の剥奪

親の呪い――『児童虐待』 池田 由子

4121008294児童虐待―ゆがんだ親子関係 (中公新書)
池田 由子
中央公論社 1987-02

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 1987年、昭和62年に出された児童虐待についてのコンパクトな百科事典のような本である。

 90年代にはアダルトチルドレンやトラウマの文脈で虐待がとりざたされたが、バブルのころまでは児童虐待は世間にどのように捉えられていたのだろうか。

 児童労働や売春人身売買から虐待の歴史がとりあげられて、子どもがまったく尊重されない時代から虐待の問題はかたちを変えて、ずっと存在していたことに気づかされる。

 事例がおおく載せられていて、もうその子どもたちは30年のときをへて、どのような生を送ったのだろうか。かつては小児科が、虐待の存在に気づかされるさいしょの機関であった。

 むかしもいまも、虐待する親は自分を「被害者」のように思っていることは変わらない基本事実ではないだろうか。

「大人の父や母と対等の、悪意ある人間として、親をわざと困らせたり、挑発したり、親にみじめな思いをさせる「加害者」のように捉えられている。親は自分自身を、子どもをいじめる加害者と思っていない。むしろ子どもに困惑させられる被害者と感じているのが特徴である」



 そして、虐待された子は、親を殺したり、あるいはほかの子どもを傷つけたり、殺人をおこしたりする虐待の連鎖はつづいてゆくことになるのである。

「社会が児童虐待という暴力を無視すれば、その社会にいる誰かが後にその負債を支払うことになるのである」



 あるいは、自分を責めつづけて、社会への不信に呪われる人生を送ることになるかもしれない。大人になっても職業を転々とし、薬物中毒になり、母の呪いに勝てず、自分の生を恨みつづけて路上で死ぬことになるかもしれない。

「何故、私だけがこんな目にあわなければならないのか? 何故生みの親がわが子を愛することができないのか? 母親に拒まれた私は生きるに値しない不要の存在なのか?」



 親に否定された子どもは、自己否定する自己像を描きつづけ、他人と世界にたいする不信を投影し、生きづらさをずっと抱えつづけて生きることになる。自己信頼を抱けないことは、かくもこの世界の生きづらさをかたちづくるのである。

 ただ、もしそうだとしても、心理療法が親の呪いや縛りを解けるような知識を与えてくれるよう願いたいところである。親に植えつけられたものだけで、人生が決定されたくないものである。

 
子ども虐待 (講談社現代新書)児童虐待―現場からの提言 (岩波新書)子どもへの性的虐待 (岩波新書)告発 児童相談所が子供を殺す (文春新書)ルポ 消えた子どもたち―虐待・監禁の深層に迫る (NHK出版新書 476)

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