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08 26
2016

主体性の剥奪

生と自己の自信の欠如――『新 凍りついた瞳』 椎名 篤子

4087461300新 凍りついた瞳
―「子ども虐待」のない未来への挑戦 (集英社文庫)

椎名 篤子
集英社 2007-02

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 虐待は右肩上がりにふえているのだが、いぜんのように関心をもたれなくなった。90年代にトラウマや心理学のブームがあり、生きづらさの原因を虐待や親の関係に求める機運が高まった。バブル崩壊の経済ダウンや非正規・不安定雇用の増加を、心理面に求める人が多かったのだろう。

 この文庫は2007年に出されている。わたしの関心としてはトラウマの流れではなくて、親目線、人づくりの面から見た虐待という人が生きること、存在することを否定されることが、人が成長する際にどのような悪影響をおよぼすのか見てみたい。虐待は人が育つうえで、なにを欠如させるのだろうか。

 だいたいは四章までに虐待されたひとりの子どもを主人公にルポが描かれる。

 第一章では、虐待で殺されてしまった女の子のルポで、転居をくりかえすために関係機関が命を助ける時点はなかったのかという視点で描かれる。女の子のさいごの言葉は、「何か食べたら、治るから」である。

 第二章「サウナの家」では、親に捨てられた子どもが乳児院、養護施設で、ひとりの大人にたいして愛着行動を定着できずに、問題行動をおこすさまが描かれている。

 親の代わりにひとりの保育士に母親のように愛着をしめすのだが、法律によって養護施設の移転によってその中を引き裂かれる。保育士を独占しようとし、わがままをいい、「ぼくのことをまた捨てるんじゃないですか?」という「試し行動」がおこなわれる。

 養護施設では、親に否定された自己の存在を証明するために、周囲を支配しようとしていた。そして、日雇いでしのぐ父にひきとられ、サウナを放浪するような生活にまきこまれる。施設に帰ってきたときにはワルのような目をしていた。

 第三章「長い家路」では、自立援助ホームに入ってきた女子高生が、非行や問題行動をくりかえすさまが描かれる。

 第四章「母子治療」は、「イグアナの娘」を思わせる娘嫌悪症の歴史がひもとかれる。自傷行為をおこなう娘と、娘をヘビみたいと嫌悪をもよおす母親。

 兄二人はふつうに育てられるのだが、娘だけは育てられずに養護施設にあずけられる。このふたりも登校拒否をおこなうようになり、父の支配と虐待の家庭のすがたがうきぼりになる。

 そして母は、子どものときに養子に出されていて、姉や兄といっしょに暮せない疎外感をいだいていた。その喪失体験を見ないために、娘を嫌悪しておれば、捨てられた自分と向き合わずにすんだのである。娘は、捨てられた価値のない自分そのものであったのである。

 大人になって、子ども時代の生育環境を再現してしまうふしぎさに圧巻である。

 生まれたことを否定され、ほんらいはいちばん愛されるはずの母や父に否定される経験を味わって育った子どもには、どのような心のひずみやゆがみが生まれるのだろうか。その欠如したものに、人間が成長するためにいちばん必要な土台をつちかうように思われる。生きていていい自信、生きてゆく自信、そういったものは、母の承認からでしか授けられないもののようである。


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