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06 23
2016

主体性の剥奪

言葉だけで知っているつもりになっていた――『「引きこもり」から、どうぬけだすか 』 冨田富士也

4062720639「引きこもり」から、どうぬけだすか
(講談社プラスアルファ新書)

冨田富士也
講談社 2001-03

by G-Tools


 言葉を聞くだけでわかったつもりになっていたが、ひきこもりはなぜなるのかということがちっともわかっていなかった。

 わたしは親のしつけや教育が子どもにもたらすものというテーマで読んでいるので、親の教育の結果としての引きこもり論を読みたい。

 引きこもり報道は犯罪報道の中から注目されてきたが、そのためにどうしてなるのかという面はあまり聞いたことがないように思う。

 著者はコミュニケーション不全が原点という理解がなされていないと指摘する。たんに友だちの輪に入れないとか、グループの輪に入れないということが、ひきこもりを生み出してゆくというのである。

 わたしも人の輪に入ってゆくこと、人との距離感にずいぶん悩まされて、孤独へといたる理論武装ばかり鍛えてきたので、この心情はひじょうによくわかり、自分も近いところにいたんだなとあらためて気づかされた。

 ぼっちの心情である。友だちの輪に自然に入ることや雑談が苦手なのである。機能主義や個室主義をひきのばしつづけた果てに、集団主義、仲間主義の輪の中に入ってゆけない。情緒的つながりというものを欠落してしまったのである。

 しかし、ひきこもりがぼっちの延長線上にあるとは思わなかった。いかに言葉だけで理解していた気になっていたことか。もうすこし親の教育との因果関係としての引きこもり論を読んでみたいと思う。

 この本は2001年に出されたもう15年前の本である。ひきこもりといえば斉藤環の土壇場という感じになっているのだが、この著者もメディアによく出たりしていたのだろうか。

 多くの人の羅列がぽんぽん出てくる本で、そこでの深い解釈がないのが残念に思えた本である。

 いまはひきこもりは中年化、親が高齢化してもうひきかえせない地点にずるずると時間がたってしまった印象がある。労働や企業の壁があまりにも高いように思われる。

 ニートや無職、高齢退職者などは、この機能企業社会のエアポケットのような地域社会にとりのこされる。子育てする母も、地域社会のエアポケットに放り出されるのではないだろうか。機能優先社会の落とし穴を警鐘しているように思える。

 
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