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06 17
2016

セラピー・自己啓発

他人の犠牲者にならないための「唯心論」のススメ

 ふつう人は自分の外側に人やモノ、景色があり、外側の世界は自分の意志で動かせることがむずかしいので、怒りや被害をうけるものと思っている。これは科学的世界観の根本であり、自分の外側のモノは自分と無関係と思っている。

 しかしこの無意識の思い込みは、いろいろと被害をもたらすものである。

 この世はすべて自分の心だ、この世界にあらわれる人・外界・ものごとはすべて自分の心がつくりだしたものと思ったほうが、はるかに健康に、外界に煩わされることが少なく生きられる。

 自分の外側に世界や客観的世界があると思い込んでいると、自分はいつも「被害者」のように「他人のせい」や「他人の責任」に押しつけてしまい、他人が変わったり、謝るまで、いつまでも怒りや苦痛を抱えていなければならなくなる。

 反対に唯心論は、外界の出来事や人もすべて自分の考え方、捉え方の問題と考える。あるいは考えない、忘れる、捨てるという最大の心の武器を身につけることもできる。

 人がどうあろうが、外界がどうあろうが、心の在り方を変えることによって、自分の心的環境を心地よいもの、快適なものに変えるのである。

 唯心論の反対の立場、唯物論なら、外界や他人が変わるまで自分の心が晴れることはない。だけど唯心論の立場では、外界や他人がどうあろうが、自分の心を快適に、過ごしやすいものに変える。そのためにいつまでも外界の被害者にならずにすむというわけである。

 唯心論は心に入れるものを、食べ物のように考えるとわかりやすい。食べ物で毒のあるもの、まずいもの、食べたくないものをわざわざ口にする人はいない。考えたり、思ったりすることが体内に入れる食べ物なのであって、体内環境である。

 外界のせいにする唯物論は、好んで自分の食べなくないもの、嫌いなもの、恐れるものを、口にするのである。どちらかというと、そういう汚い食べ物を口に入れつづけるのが習い性になるのが、唯物論的臆見はふつうである。

 他人やものごとはすべて自分の外側にあり、自分の心ではない。そうすると外界のひどいこと、つらいこと、いやなことは間断なく自分の心のなかに入ってくる。さらに外界に怒りを感じ、悪循環をくりかえすことになってしまう。汚い、まずい食べ物をむりやり口に入れつづける人になってしまう。

 外界に思うことの心の選択権をまるでもたないのである。唯心論なら外界のあらわれもすべて自分の心だから、きれいなもの、汚いものを選択して、自分の心に入れるものを選択排除することができる。それは自分の体に入る食べ物を選択する立場のことである。ふつう食べ物の好みを選択することはあたりまえなのに、心の食べ物に気をつかう人は少ないのである。

 これは無意識につちかわれる外界は自分とは関係ないと思い込む素朴な世界観によってひきおこされる。

 他人や外界が自分の心だ、心に思っていることのあらわれだと気づくことはなかなかむずかしい。

 「あなただ、あなただと思っていたが、わたしだった」という言葉を、たしかケン・ウィルバーかだれかが語っていたが、他人もわたしなのである。

 むろん視覚的には他人である。ただ、その他人に思うこと、感じることは、自分の心内に属することである。そしてそれを選択・操作する力は、自分にそなわっている。唯物論的立場は、その選択権をもたないゆえに、外界の犠牲者になりつづけると思うのだが、たんに自分の心の選択権をもたない、知らないだけなのである。

 唯心論は、自分の心の中に入れるものを選択することである。きれいなもの、うれしいもの、楽しいこと、すばらしいものを率先して、心や体内の中に入れる。

 反対に唯物論的立場では、自分のそういう選択権を知らない。外界にいやなこと、不快なこと、つらいことがあっても、即座に心にとりいれ、ぎゃくにそういう不快になるものにより多く反応し、多くとりいれる。不快なことコレクション、まずいものを率先して食べるマゾヒストのような外観を呈するにいたる。

 それは無知に由来するというしかない。たんに外界や他人は自分の心ではない、そこに選択権もないし、自分の心を不快に毒するものにしているという自覚がない。

 外界や他人は自分の心のあらわれと思わないだけで、人はいくたものの不幸や惨劇を背負うのである。無意識な世界観をもつだけで、人は外界の被害者になりつづけるのである。

 この世界感の違いだけで、人はずいぶんと違う世界と人生を生きることになる。自分の不幸の原因はこの世界感の違いにあると気づかないことがいかにいることか。

 この世界はすべて自分の心のあらわれにすぎない、そういった考えはなかなか根づかせるのはむずかしいかもしれない。でも、その違いを知らないと、外界にふり回され、他人に奴隷のように翻弄され、自分を犠牲者と思いつづける。

 犠牲者にしているのは、自分の心に入れる選択権というものをもたない自分の無知なのである。


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Comment

こんにちは。僕は、 長い間 犠牲者を 演じてきたなぁ、と思いました。瞬時にいろんな状況に出くわす度に、心の中で自分を被害者にして、他者を非難してきました。心でささやくことに、選択権を持って、立ち止まって、選んでいきます。はっ、とする記事をありがとうございます!
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