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06 12
2016

主体性の剥奪

親だけの問題?――『不幸にする親』 ダン・ニューハース

4062814811不幸にする親
人生を奪われる子供
(講談社+α文庫)

ダン・ニューハース
講談社 2012-07-19

by G-Tools


 基本的に親の責任だけの問題にするトラウマ理論はもうあまり信憑していない。いまの考え方を訂正や変更する自己啓発的な考え方の方がよほど有効だと思うし、文化や世間の風潮に親もおおくの影響をうけていて、どうしてそれを親だけの問題にできるのかと思う。

 たとえ親から歪んだ考え方を植えつけられようと、訂正することができるし、世間から植えつけられた考え方も、大人になった自分なら検討して、変えることもできる。ただ、無意識な行動パターンとして植えこまれたものは意識化されないかもしれないが、それも言語化された本を読むことによって、自分の行動パターンの歪みやひずみを知ることができる。親を憎んだところで、問題はもう親の手を離れている。だからトラウマ理論や毒親問題には否定的である。

 このような毒親本を手にとったのは、他人が他人を動かす、他人が他人を支配する、または強制する関係といったものを、検討したかったからだ。やらされ感や強制されるものについて、いまだにわたしは強い反発心を抱いている。そこから自由になる方法はないかと、人が人を強制する関係や支配する関係がいちばん露骨に境界線なしにあらわれる親子関係に、問題の所在を探ってみたくなったのだ。だから、もはやトラウマ理論だけを問題にしているのではない。

 このような毒親本というのは、歪みをもった親にされたことの言語化、意識化にはとても役に立つと思う。歪んでいたり、まちがっていたり、愚かな親というのは、人間である以上、犯してしまう過ちや間違いであるだろうし、すべてに完璧で最高な親や人間などいるわけがない。親だって、世の中も自分もよくわからないで体だけ大人に成長した子どものようなものだ。大人になって、そういう実感はひしひしと感じているだけに、親に完璧やまちがいのない完成した大人を求めるのは、不可能な望みというものだ。

 こういう心理学書というのは、どうして文化的な考え方や世間の一般的な風潮といったものを、無菌室のように無視するのだろうと思う。親は時代の子育て論や一般的な育て方に影響をうけているので、体罰や虐待的な子育ては、現在よりはるかに寛容というか、推奨されていた時代すらあっただろう。なぜ社会や時代は、責任を追及されないのだろう。まるで非正規や貧困が個人の怠けのせいにされる風潮とおなじようなものだ。

 子どもをコントロールしたがる親というのは恐れていて、あるいは自己中的な自分を守る、自分の楽しみや喜びのために子どもを使うようなところがあって、親自身はそういった人間関係の歪みを自覚していない、もしくはほかに有効な方法を知らないで、自分自身すらもがいているのかもしれない。人間関係にすべてに完璧で、トラブルも問題もおこさない人間などいるだろうか。

 コントロールしたがる親が恐れているものは、

①欠陥人間と思われることの恐れ ②力がないと感じることへの恐れ ③人から認められていないと感じることの恐れ ④非難や攻撃を受けやすい弱さを感じることの恐れ ⑤感情のコントロールを失うことへの恐れ



などがあげられていて、これらの恐れから親や子どもをコントロールしようとするのである。親も弱さや恐れの対処法がわからずに、もがいているのである。

 毒親というのは、親自身のために子どもがいる、自分自身の喜びや楽しみのために子どもを使うようなところがあって、これは子どもを育てることの基本理念をあやまって、またはそれ以外の方法を知らないともいえるかもしれない。子どもは自分と違った独立した性格と個性をもち、自分独自の個性や考え方、生き方を尊重され、親によってサポートされ、伸ばされる一個の人格であるという考え方がまるで存在しないのだろう。それによって、子どもは自分自身の成長と個性をつぶされる。これは考え方や捉え方の問題ではないのか。

 有害な親の8タイプがあげられていて、かまいすぎて子どもを窒息させる親、子どもの幸せを取り上げる親、完全主義者の親、カルトのような親、支離滅裂な親、常に自分の都合が優先する親、身体的な虐待をする親、責任を果たせない親、があげられていて、勝手で身勝手な親が多いのだが、優しさや思いやりが過剰充満した親も、また問題としてあげられるのである。

 基本的に、自己中心的で、他者の尊重をできない人の特長を備えているタイプのように思える。他者を尊重できない態度は、子どもに向けられる。自己中心的な性格もあるのだろうが、子育てには甘やかすと規範や禁止事項を守らない大人に育つと思われていたり、弱点や欠点を矯正することが教育だと思っていて、子どもを責め、折檻することが正義だと思っていた親と時代だってあるだろう。子育てって、他者である子どもを尊重しない考え方がもともとあったのだ。

 そして、他者や自主性を尊重しない教育観や労働観はこの社会を覆っていて、親自身も強制ややらされ感を抱きつつ、働いたり、学んだり、あるいは家庭すらそのようなやらされ感や強制観で運営しているかもしれない。自主性や自発性が尊重された社会ではないのである。労働や教育は、強制されたものでないと成り立たない。そういう社会の中で子どもも押しつぶされ、その影響に声がようやくあげられだしたのが精神医学圏であり、労働界や教育界においては、いまだに強制的、強権的支配の制度はつづいており、そのくびきから自由になれる人は少ない。

 われわれの社会自体が強制や強迫でないと運営されない社会といえるかもしれない。強制や強迫なしで、社会は運営されて、独自に回るということはあるのだろうか。人は強制を失うと、自発的に学び、働き、社会に貢献したいとする心と行動を育てられるのだろうか。人は強制しないと動かない、そういった人間観が、この問題圏の根底にあり、そのことによって自分の人生、自分独自の個性や趣向といったものを伸ばせないで生きることを余儀なくされている。問題は、この社会のあり方そのものではないのだろうか。


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