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06 07
2016

主体性の剥奪

学ぶのは暴力支配と支配・従属の関係――『お母さんはしつけをしないで 』 長谷川博一

4794218044お母さんはしつけをしないで (草思社文庫)
長谷川博一
草思社 2011-02-05

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 これはなかなか衝撃的な本だな。

 教育熱心、きびしいしつけ、優等生やよい子、よい母をめざすことが、逆説的に子どもを追いつめ、非行や犯罪をおかす子どもにそだててゆく。親の熱心さや期待が、ぎゃくに子どもをダメにしてゆく。そういったパラドックスを説いた本である。

 かつて17歳の少年犯罪が世間をにぎわせたことがあったが、それらの少年に共通することは親の厳しいしつけや教育熱心さ、ときに親が教師であるという共通項があったということである。優等生やよい子の暴走、しつけの暴走がそこにあったと著者は見る。

「母親はいまでも、自分のした子育ては「しつけ(愛情)」だと信じて疑っていません。しかし拓也くん(強盗傷害事件で少年刑務所に入っている少年)が母親から学んだのは、暴力を用いて、相手を思い通りに従わせるという人間関係だったのです



 一方的で暴言や体罰をもちいて子どもをコントロールしようとするしつけは、子どもに主従関係をつくり、支配と従属の関係を教えてしまう。「子どものため」や「よい子になってほしい」「いい大学に入ってほしい」という熱心な教育やしつけは、子どもに奴隷と服従する暴力的な関係を教え、それは対人関係でも、またその子が親になったときに同じ関係がかたちづくられてしまうのだろう。

 すこし疑問だが、犯罪に走った少年の親ほど「うちは子どもをきびしく育てた」という傾向があったそうである。叱られてばかりいる子どもは、「自分はダメな子供なんだ」という信念を育て、こんどはその信念に従って行動してゆくことになる。

 親は熱心さや愛情、期待の大きさから、子どもに過剰なしつけや教育をおこなってしまう。しかしその期待と裏腹に、子どもにつたえられ、学ぶことは、支配と服従の関係であったり、暴力や力で人をコントロールすることであったり、自尊心の低下による自虐や犯罪的暴力であったりする。

 親の期待とは違い、しつけの熱心さは、上下関係を学ばせ、上の人が下にいる人を思い通りに操るという関係を教えてしまう。自分のしたことの結果、影響、言外の意味を読み損なってしまうのである。

 逆説、パラドックスなのである。子どもにかける熱心さや過剰な思いが、ぎゃくに子どもの自立や自主性をつぶしてゆき、子どもの健全な成長を壊してゆく。子どもは自分と違った別の人格であり、別の目標や好みをもち、自分らしく自分の好きなように生きてゆくという子育ての自立という最終目的が、それによって疎外されてゆく。

 この本は解決策として、「あきらめる」「開き直る」といった熱心さをやめる逆説的な方法が教えられるが、これはまるで老荘思想だと思った。老子と荘子は、逆説的に人の努力や計画をとん挫させ、やめさせる方向に説く。人の有為というのは、かならず想定外の失敗や結果をもたらすのだ。ぎゃくになにもしないほうが、よい結果をもたらす。これは計画経済、社会主義の失敗として、市場主義にまかせるほうがいいという流れにも重なる。

 熱心さ、過剰さ、大きな期待が、逆説的にどんどん子どもを破壊してゆく方向にすすむとは、いいことをしていると思っている親には想定外のことだろう。しかし小さく、無力な子どもにとって、強権的な親は、傍若無人のかぎりをつくすどこかの独裁的君主と変わりはない。反抗や抵抗をできない無力な子どもは、強権や強制に一方的に従って自分を破壊してゆくほかない。

 子どもはほんとうはなにをほしがっているのだろう、なにをしたがっているのだろう、なにを思っているのだろうと無心に子どもの気持ちを察したことはあるだろうか。子どものありのままを見つめたことはあるだろうか。ニューエイジの思想でありのままの心を見つめるといった教えをよく聞くが、アタマでっかちな親自身は、自分のありのままの心に耳を傾けたことさえない本心を無視した生き方を生きてこざるをえなかったのだろう。

 子育て論はそれこそ人の数、人の性格の数ぶんだけある玉石混沌の世界であり、ほんの数冊しかわたしはふれたことがないので、もう一方の厳しいしつけ、スパルタな教育論の言い分は欠けている。しつけが不足して甘えが横行するとルール無視の忍耐や努力の足りない子どもができると反対派はいうだろう。

 それらの言い分も確かめたいところだが、この臨床心理士・長谷川博一の論理や説得性には、腑に落ちるところがたくさんあった。東ちづるのカウンセリングや宅間守との接見をおこなったことのある犯罪臨床心理学者のようである。

 子育ての信条や方法はそれこそ家庭の数ほどあるといっていいと思うが、いまは教育、しつけ熱心、愛情過多の親が多いことだろう。そのことの逆説はしっかりとくみとられる必要があると思う。子どもは自分独自の魂を育てるために生まれてきたと考える方が妥当に思える。

 人の熱心さの逆説は、社会主義や民主主義の理想が、逆説的に大量虐殺の悪夢を生み出してきた歴史という事実と重なって見える。


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