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05 30
2016

主体性の剥奪

虐待親と20世紀工業社会の労働観のつながり――『毒になる親』 スーザン・フォワード

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)毒になる親
一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

スーザン・フォワード

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 親からのトラウマやアダルトチルドレン問題はなんでも親にせいにすると訴えられたりして、もう一巡したと思うが、いまはどうなっているのだろう。いまの毒親問題はより人間関係的なものにシフトしているように見受けられるが。

 わたしは内発的動機づけをとりもどすという文脈からこの本を手にとったので、言外の読み方ができないかという読み方をしたかった。

 エドワード・デシは内発的動機づけの本に「いつわりの自己」問題にも多くのページを割いたが、じつはこの毒親や支配する親というのは同じ問題の違う面をとらえているだけではないのか。親から自立できないという問題が、これらの問題の核心だろう。

 このような支配したり、暴力をふるって思いのままにする親というのは、20世紀工業社会の外発的動機づけで行われてきた労働観や教育観とも重なるのではないだろうか。労働や教育でも、支配者や為政者から自立できないのだ。そしてそれは毒親の子どもが不全感や自己破壊傾向をしめすように、労働者や学生も、真の労働や勉強をできないようにさせるのではないか。

 外発的動機づけや強制的な労働や教育は、本人がどう思うが、どう感じ、行動したいと思おうが、関係なしである。強制や罰則でも、ルーティン作業やマニュアル作業は可能だからだ。子育て観も、この20世紀工業社会の強制的人間観をひきずいっているために、こう残虐で残酷な結果におちいってきたのではないのか。

 子どもやそれを受ける相手がどう思うが、どういう影響をうけるか、効果は考慮にない。それは20世紀の強制的人間観で間に合った工業社会の要請でなりたってきたものではないのか。

 罰則や強制で人間が従う、変わるとそぼくに思われる人間観などが、工業社会の前提にずっと横たわってきたのではないか。そんなわけはないのである、禁止や罰則は怨念やほかの方法をさがすように人間をつき動かす、人間を動かすことは逆説だらけである。

 このような強制的支配観をもった親が、支配的・虐待的な毒親になるのではないだろうか。つまり20世紀の外発的動機づけや強制的労働観などに支配されているのである。それは職場や人間関係でも発揮され、本人の意思や心情、成長などおかまいなしである。強制によって壊されてしまう内発性というのは、そのまま親子関係では、自立と成長のフェーズでもある。

 毒親問題、虐待問題などの神経症的文脈に読み取られる親子関係は、20世紀の強制的労働観や教育観とそのまま同じ文脈をひきずっているのではないだろうか。


 もうひとつ、この本を読んでずっと反発を感じていたことがある。そぼくな唯物論で世界を見ていて、唯心論的な見方をほとんどもたないことである。

 唯物論、科学観というのは、自分の外側に世界や人々がいて、自分はその外界から感情を受けとるものだと思っている。だから自分が悲しんだり、怒ったりすることはすべて他人や外界のせいで、それらを変えないと自分の感情は解消されないと思いっている。

 だけど、唯心論というのは、自分の感情は自分の考えがつくりだしたものであり、感情の責任はすべて自分にある。他人や外界のせいではなくて、自分がどうとらえるか、どう思うかは、自分の責任なのである。

 他人や外界は自分の心のうちにふくまれ、つまり唯心論というわけで、他人のせいばかりにする唯物論をもっている人は、みずから自分を「被害者」に仕立てている人ということになる。

 この無意識にある世界観の前提の違いによって、世界はまったく変わってくる。この前提に無知であるばかりに、いかに自分が他人や世界の被害者であると思い込む人が多いことか。

 親や他人の感情に自分の責任がある、自分の感情は他人のせいだと思い込んでいる人は、このそぼくな唯物論をもっていて、その被害者になっていることにまったく気づいていない。

 わたしがいう唯心論を唱えている人というのは、エピクテトスやマルクス・アウレーリウスなどのストア哲学者、ウェイン・ダイアー、ジェラルド・ジャンポルスキー、リチャード・カールソン、ジョセフ・マーフィー、引き寄せの法則などを念頭においており、つまり自己啓発であり、ニューエイジであり、心理学者はここまでつっ込んで理解している人はあまりいないように見受けられる。

 そぼくに自分の感情の責任は他人にあると思う世界観をもっている人は、無知ゆえの世界観の被害者になりつづける。自分で殴っているのに、他人のせいにしつづける。自分で殴るとは、自分の考え方がそのような感情をひきおこすという因果を知らないということだ。

 毒親や虐待親、トラウマ子どもというのは、この唯物論・科学観の世界観で他人のせいにしつづける因果応報というようにも思える。


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