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![]() | 教えない教え (集英社新書) 権藤博 集英社 2010-11-22 by G-Tools |
タイトルにひかれて読んだが、わたしはまったく野球を見ないので、この著者のことをひとつも知らない。98年に中日を優勝にみちびいた監督だそうだ。まったく知らないし、見たこともない。わたしにとって、野球はもう存在しなくなった。
「私は選手ひとりひとりをプロとして認めていた。「プロとして認めている以上、なんで子供のように管理しなきゃならないのか」」
「「やらされていることは身につかない」。…ただ単に「言われたから」とやっているだけの人はプロとしての成長はおろか、人間として成長していくことはないだろう」
「人から押しつけられたものは決して自分の身につかない」
こういうことを知りたいから読んだだけであって、どちらかというと教えないということはどういうことなのか具体性はとぼしかったかもしれない。
サラリーマンに向けて一般論を語っていたようだが、同じ話のくりかえしや思いついた話を記述してゆくような感じで、学びはすくなかったかもしれない。
教えるなといっても、教えないでどうやって人は学べるのか、自発的に学ぼうとしないものはどうなるのか、放ったらかしで人は自発的に成長するのか、いろいろ疑問はわくが、そういうことはこの本からは学べなかった。
教えることの問題は、なによりも人の自発性をつぶすことである。自発性のない学びはすべて他人事、お客さん、疎遠な記号に終わる。学校教育ってこのカタマリだった。
そもそも学校って本人の知識成長をうながすことより、知能の基準を測るための「測定器」にしかすぎない。そのために測定のために一定の記憶を試すための機会にしかならない。このような知識観、学問観が植えつけられるために、人は社会に出れば、もう学ぶことをやめてしまう。
問題や困難があっても、それを知識をもちいて解決しようとする道筋をちっともつけない学びをしてきただけである。二十五年の日本の閉塞感も、知識がまったく現実から乖離してしまった結果なのかもしれない。
リーダー観もみんなを力でひっぱる人から、サーバント、奉仕や援助するリーダ観に変わってきているという。教えることは人の能力や可能性を伸ばしてきたのだろうか。
著者はプロ野球の世界に身をおいていために「あいつには勝てる」「あいつには負ける」という「みんながライバルだと思っていた」という考え方をもつ。「競争なきところに繁栄なし」という持論をもつ。こういう世界に生きることに違和感をもった。




