HOME   >>  主体性の剥奪  >>  自分の人生を生きられていますか――『人を伸ばす力』 エドワード・L. デシ
04 17
2016

主体性の剥奪

自分の人生を生きられていますか――『人を伸ばす力』 エドワード・L. デシ

4788506793人を伸ばす力
―内発と自律のすすめ

エドワード・L. デシ リチャード フラスト
新曜社 1999-06-10

by G-Tools


 内発的動機づけについて読みたいと思っていたが、まさか「いつわりの自己」について言及されているとは思わなかった。

 わたしは労働や企業のやらされ感、強制にひじょうに抵抗感を感じていて、その反抗と逃走に人生の多くを費やしてきた気がするのだが、その意味を読み解くには、エドワード・デシの主張する内発的動機づけと外発的動機づけがひじょうに役に立つ概念だと目をつけた。

 企業のやらされ感は、自分の人生を生きている、自分らしく生きられているとは、まったく思えないのだ。どうすればこの不毛な倦怠感から逃れられるのか、内発的動機付けの第一人者にそのヒントをもらいたかった。

 エドワード・デシのいう外発的動機付けによる「いつわりの自己」は、わたしの問いの答えになるのだろうか。

 デシのいういつわりの自己は、親や世間の期待に応えるうちにしだいに自分の欲していること、望んでいることがわからなくなり、富や名声、所有のようなわかりやすい外的基準を求めるというものだった。

 このような人はなにかの成果や業績を達成するとほめられるという行為をへて、もし目標に達しなければ自分の価値はないという希薄な自尊感情をつちかうことになる。そのことによってよりいっそうの称賛を求めるように駆り立てられる。

 他者に認められることが第一になり、自分がしたいこと、のぞんでいることがなにもわからなくなる。これが、偽りの自己の完成である。

 たいして内発的動機づけによって育った人は、有能感をもって世界とかかわり、自律性をもってふるまい、大きな満足をもって人生をおくる。自律性によって自分らしさを体験し、自分の行為の主人公が自分自身であることを実感しながら人生を楽しくすごす。

 自発性、自律性を奪われた人は操り人形のように、自分の人生を自分のものでないかのように生きる。家業をついだり、家族のために身を犠牲にする妻にも、そういったいつわりの自己を生きることになる傾向が強くなる。

 エドワード・デシの内発的動機づけは、行動主義的実験による実験結果がおもな報告になる。報酬や競争、評価がいかに人のほんらいある知的好奇心、みずからが成長しようとする生命体の試みといったものを、つぶしているかを明らかにしたものである。

 本の帯には「人間観が一変する本」と書かれているが、効果的と思っている報酬がいかに逆効果にはたらくかの実験結果にあふれている。人を育てる、動かす、学ばせることの既成概念がいかにまちがってきたことか。

 子どものころに親に勉強しろといわれればやる気をなくしたし、勉強は嫌いでも遊びや趣味はどこまでも楽しめた。仕事だってやる気や残業をアピールしたりしているが、ほんとうはやる気も楽しみもなく、いやいややっていたりする。趣味や遊びは楽しめてもだ。

 人の管理方法、マネジメント、教育方法がまったくまちがっている。

 ダニエル・ピンクは報酬と罰によるマネジメントをモチベーション2.0とよび、それは工業社会に合致した方法論とした。知識創造社会とよばれる今日、そのような報酬と罰によるモチベーションは内発的動機付けを破壊する愚かな試みにしかすぎなくなっている。

 芸術家が時間通りに定時にきっちりと作品を描き始めなければならないという規則はバカげているし、報酬を目当てにするようになると、創作自体の楽しみを削いでしまう。人のモチベーションというのは柔なもので、複雑なものなのである。

 それ自体の楽しみを削ぐようなポイントをつくると、たちまちそれ自体報酬だった活動は、魅力のないものになってしまう。わたしたちは幼少のころにあったみずからの好奇心や活動欲をこうやって殺されてきたのではないだろうか。

 内発的に、自律的に、自分の人生を自分らしく、自分の望むように生きることが幸福や人生の充実に結びつくという認識が広がっている。自分の人生を所有している、支配している、思い通りに生きられているといったことが、ひじょうに大切な時代になっている。

 でもわたしたちは企業や学校で自分のやりたいことものぞむことも叶わない、生活や成績のための人生を送らされている。日本が長期的に停滞しているのはこの工業社会によるマネジメント、報酬と罰による指導方法にあるのではないかと思える。

 自分の内発的な楽しみを充実も、追究もできないし、自分の人生を支配して生きている充実感も得られない。わたしたちの人生を奪っているのは報酬と罰による人間観、指導方法ではないだろうか。



▼この本の参考文献には社会学書も多い。画像なしはラッシュ「ナルシシズムの時代」とワクテル「豊かさの貧困」です。
アメリカン・マインドの終焉―文化と教育の危機ナルシシズムの時代 (1981年)緑色革命 (1971年)「豊かさ」の貧困―消費社会を超えて新版 才能ある子のドラマ―真の自己を求めて

関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top