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04 03
2016

社会批評

オタク性犯罪説から見える物質主義と空想主義のたたかい

 アニメ・オタクはなぜ性犯罪者予備軍として叩かれるのだろう。そこにはふたつの帝国・勢力の根深い対立があるのではないだろうか。

 アニメ・オタクを叩く勢力というのは、物質主義の帝国である。

 物質主義の帝国は、ファッションやクルマ、リア充といった見た目の物質で価値や優劣が測られる見た目優先主義の帝国である。

 アニメ・オタクというのそういう競争から降りてしまって、頭のなかの空想、喜びに退却する孤立主義をもたらす。いわば物質帝国主義への尖兵なのである。

 性的な部分で叩かれるのは、物質主義帝国の原エンジンがその性衝動によるものであり、その駆動力を物質主義に駆使しないアニメ・オタクはあやしすぎるという投影なのだろう。


物質主義は女性の獲得競争

 物質主義帝国というのは、女性の性獲得の競争でなりたっているというのは、ゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』や岸田秀の『性的唯幻論序説』で指摘されているように、恋愛や結婚が物質主義の原駆動力となっている。

 男が女性を獲得するためには経済的富をもたなければならない。彼女の気をひくためにおしゃれをし、車をもち、家を建てる経済力をもたなければならない。

 その競争が激しくなれば自国のモノでは優越を競えなくなり、外国の舶来モノで勝負をかけなければならない。

 そういう性競争の拡大が全世界や植民地までの拡大したのが、物質主義帝国ではないだろうか。


物質主義と科学的世界観

 物質主義世界ではモノの多寡が精神の安定と優越をもたらす。ゆえに宗教のような空想による精神の安寧を用いてもらっては困る。

 それによって客観的世界像が樹立される。なぜなら、心自体で安寧を手に入れられたら困るのであり、物質だけが精神の安寧と幸福をもたらす。

 心それ自体のコントロール能力は、物質の幸福世界では、入手禁止なのであって、外界の統制自体に幸福がゆだねられる世界像を打ち立てることが必要なのである。

 つまりそれが物質科学世界像に宗教が嫌われる理由であり、わたしたちは物質主義の信徒として、心それ自体の統制能力をうしなうことによって、外界と物質の依存に釘づけられるよう仕向けられるのである。


時間の誕生

 物質主義は、世界経済と富の蓄積に貢献し、人類のゆたかさに大きな貢献をしてきた。貧しさの駆逐にも大きな貢献をもたらした。

 金銭の交換をもたらさないものは、悪や忌避されるものである。富や自分の生活さえ維持されなくなる。女性にとって金と豊かさをもたらさない性的後退者は自身の敵になる。

 物質主義はそれ自体、絶対の正義になった社会体制・システムである。

 物質はだれかのモノであり、だれかがつくったモノである。所有と交換を明確にするためには、過去の所有や製造を記憶にとどめなければならない。

 過去はどこまでも明確に記録され、実体化の地位に祭り上げられる。交換と所有のためには、過去は物体のように明確に刻まれなければならない。

 過去が消え、所有も明確でない時間感覚では、モノの所有権は輪郭化されない。所有権を明確にするために過去の実体化、記録化はなにより重要になった。

 そのことによって、われわれは過去の苦悩や後悔を背負うことになったのだが、物質主義世界ではモノの救済がますます求められ、好都合なことである。


空想主義の尖兵・オタク

 アニメやマンガは、この世界のどこにもない空想の世界に憩い、楽しみを見出すヴァーチャル世界に満足する行為のことである。

 すべて空想、この世のどこにもない絵空事である。

 それでも人は人生を賭するほどの情熱や生きがいをもたらす。

 空想主義は、物質主義の楽しみを代替し、ときには奪ってしまう。

 物質主義にとっては、それは危機であり、脅威である。

 女性獲得の欲望が二次元で代替されてしまうと、物質主義世界の駆動力が失われてしまう。

 物質主義や女性はそれによって、オタクの性的脅威を投影するのではないだろうか。物質主義の根幹を脅かす脅威なのである。


空想主義は宗教

 空想に満足をもたらすというのは、神の物語を信じる宗教と似ていないだろうか。

 現実の物質世界にではなく、神の空想世界を信仰するという形態は、アニメ・マンガオタクのありようと似ていないだろうか。

 とするのなら、アニメオタクというのはすでに物質主義が毛嫌いする宗教的世界観をまとっているのである。

 空想に慰めをみいだしてもらえば、物質経済、貨幣経済のエンジンを回すことにつながらない。経済が収縮するばかりだ。

 アニメ・オタクというのは物質主義にたいする空想主義のテロリズムなのである。


空想主義の復帰、つまり宗教への回帰

 空想主義の興隆というのは、人は物質がなくとも満足する生き方ができるのであり、それのみで幸福を覚えることである。

 これは宗教が物質の慰めでなく、心それ自体のコントロールによって幸福や安寧をもとめる生き方と共通である。

 つまり空想主義はすでに宗教への回帰をふくんでいるのである。

 空想主義が気づかせたことは、物質世界の前に心の世界があり、その心の世界を満足させることが幸福や安寧をもたらすことができるということである。

 ポジティブ心理学や禅的瞑想が興隆するというのは、心の世界、空想によって人は満足をもたらすことができると知ることではないだろうか。

 われわれは物質主義のくびきから解き放たれ、空想主義の世界にすでに踏み入れてしまったのではないか。


物質文明からの退却

 若者の消費離れや恋愛離れ、少子化や非婚化・晩婚化がおこっている。物質主義のエンジンが根元のところが点火不足をおこしている。

 物質主義の魅力を失ってしまっているのである。

 それ以上に物質の獲得には大きな重荷や労働を背負うことを厭う気持ちが強くなっている。

 物質主義の貨幣の駆動は、その代替物であるアニメやコンテンツという空想をつくり、そのことによって物質主義のう回路をつくってしまったのである。

 そして空想、心の世界による安寧と幸福の方法を覚えてしまって、ますます物質文明の後退に拍車がかかる。

 わたしたちは空想主義によって宗教世界に踏み入れてしまっており、過去を実体化してきた時間感覚の世界観も変えてゆくのだろう。

 その時間世界観が、わたしたちの幸福を奪い、過ちを多く生み出してきたことにも気づかれるだろう。客観的世界像の批判や攻撃もおこなわれるだろう。

 宗教世界において遠ざけられた女性はどのように生計を立てたのだろうか、宗教世界において貨幣経済はどのような循環路を見出したのかと疑問に思うのだが、物質主義の果実と苦悩をいちど経験したわれわれは、もうその時代には戻れないのだろう。

 空想主義への疾走がますます加速される時代になろうとしている。

 この時代の幸福と安寧のかたちは、生活や経済のありようまでがらりと変えてゆくことになるのだろう。



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