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02 29
2016

書評 社会学

モノでマウントした時代の終わり?――『シンプルを極める』 ドミニック・ローホー

4344019539シンプルを極める
ドミニック・ローホー
幻冬舎 2011-02-24

by G-Tools


 ミニマリストがどのようなことを語っているのか読んでみた。

 はじめて読む人は、こんな考え方があるのかと新しい世界に目を啓かれると思う。われわれはふつうモノや所有にたいして疑問をもったり、問いかけたりしてこなかったからね。

 ミニマリストは2010年あたりからひんぱんに言葉にされるようになったそうだが、わたしはすでにヘンリー・ソローとか『清貧の思想』で日本のミニマリストの系譜をたどっていたので、顧みる必要はないと思っていた。

 ただ、これは若者の消費離れやさとり世代、断捨離や片づけ本の流れから、必然的にいたりつき、この戦後ずっとつづいてきた物質消費社会の根底を侵食してゆくのではないかと無視できない存在に思えてきた。

 知識社会とよばれるものは、物質に価値をおかない。そのことによって知識や精神の崇高さや至上性を表明できるからだ。われわれは物質や所有でマウントや競争を競った時代から、モノにいっさい価値をおかず、知識や精神だけに価値をおく中世のような時代に還ってゆくのだろうか。

 ミリマリストというのは言葉が新しいだけで、実質的には日本の伝統文化はミニマリストの歴史であふれている。仏教僧はまさに脱俗や隠遁によって世間の価値に背を向けることによって、ミニマリストのような生き方をしてきて、そのような人が尊敬される風土は日本ははるかむかしからもっていたのである。

 鴨長明に吉田兼好、良寛、西行、松尾芭蕉、種田山頭火といった人たちはそういう系譜ではないだろうか。たんに戦後の物質消費の世界にどっぷりつかってきたわれわれはそういう伝統意識と切れているだけである。ミニマリストは新しい、古いの尺度で競うことは恥ずかしいことである。

 この本の著者、ドミニック・ローホーはフランスで育ち、日本で30年暮らしてきた女性である。とうぜん禅の精神を、現代の物質消費社会を経験したうえで語っていることになる。

 禅の精神を基礎においているのだが、モノや消費にたいする考え方は、この著者に指摘されるまでそんな考えや思いを抱いていたのかと気づかされることが多い。

 われわれはモノが少ないとミジメで貧乏だ、困窮していて憐れだ、という絶対的な信念と前提で生きている。持たないことは貧困以上に人から劣位や負け組の烙印を押され、さげずまれ、仲間外れにされ、あわれな救われるべき対象になる。

 そんな前提をもったわれわれの意識のなかで、われわれはモノを捨てる、モノをもたない生活など望めるだろうか。われわれはだれもがゴミ屋敷の住人のような心性をもっているのではないだろうか。

 ミニマリストはモノをたくさんもつことがほんとうに幸福で、安らげることなのかと問う。ぎゃくに重荷や不自由、ルーティンに拘束する監獄になっているのではないかと問いかける。

 わたしたちはモノをたくさん持てば、守られ、安心し、盾をもったように思うが、じつは見捨てられたリ、さげずまれたり、仲間から排除されたりしないかと恐怖におびえているだけではないだろうか。

 わたしたちはほんとうのところ、モノや消費になにをたくしているのか、とミニマリストは心に問うことをすすめてくるのである。

 現代は若者の消費離れがいわれるように、戦後間もなくのころのようなモノにたいするわくわくした感じ、希望に満ちた明日を想像するといった夢や幸福をまったくのところ失っている。それなのに不要なモノを得るための、長時間の労働や企業に拘束される不自由を味わっている。

 根本から問い直してみると、若い世代はなんてムダで徒労な生活に毎日を奪われていることだろう。

 戦後間もなくのモノに希望と夢を見いだせた時代はとっくのむかしに終わっているのである。だからこそ、断捨離や片づけ、ミニマリストといった動きがおこってきたのである。

 ミニマリストはそんなモノと消費に人生の価値と意義をかけてきた世代にたいするアンチであり、人生の否定である。だから反発もされるし、そんな生活のどこはいいのか不可解に思える。

 けれど時代はとっくにひとつの山を登り、下っているのである。

 ミニマリストの存在は、物質消費に溺れてきた時代の曲がり角と消滅を用意するのだろうか。じょじょに人々の意識を変えてゆくのだろうか。

 その先には戦後の物質消費の時代にまみれた人にはまったく想像も予想もつかない、価値観が逆転した世の中がやってきているかもしれない。中世のような乞食や一文無しが尊敬されるような世の中である。

 そのかわりに精神の充実や安寧がひたすらめざされ、物質の所有をまったく追わない世の中がやってくるのかもしれない。

 世の中がひっくりかえる前兆としてミニマリストはあらわれたのか。それとも物質消費は根強く社会の根底のエネルギーでありつづけるのか。

 ミニマリストが変えてゆくかもしれない意識の動向には気を配ってゆきたい。


シンプルに生きる―変哲のないものに喜びをみつけ、味わうゆたかな人生が始まる シンプルリスト (講談社+α文庫)ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -トランクひとつのモノで暮らすミニマリストという生き方

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