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01 11
2016

芸術と創作と生計

ブロガーは霞を食って生きる「坊さん」になるしかないのか

「芸術VS商業」の図式

 はてなー界隈ではブログのマネタイズをすすめるイケダハヤト氏叩きに熱心である。

 わたしはこのバッシングにはすこし懐疑的である。好きなことやブログで飯を食えることはひとつの理想に思えるし、組織で働く窮屈さから逃れたくてたまらないからだ。

 これはイケダハヤト氏にたいする憎しみというより、構図的にはずいぶんかんたんな「芸術VS商業」の図式を語っているだけに思える。

 真に芸術的なものはマーケットにならない、深く芸術的なものは金銭には代えられない、金銭的儲けをめざすことは賤しいことである、金儲けに芸術は生まれないという、古来信じられて議論されてきた図式を踏襲するにすぎないに思える。

 金儲けなどちっともめざさず、ただ芸術的価値だけをめざす、それこそが芸術であるという図式は、純文学VS大衆文学でも語られてきたことだし、ポップミュージックでも同じことが語られてきた。

 同じことがネットでもおこなわれているだけだ。ただブログにはマネタイズする方法が確立されておらず、アマチュアリズムに永久に閉じ込められるジレンマしかない悲劇がある。


無償のお友だち経済であるブログ

 ブログは無償で情報や知識を発信し、消費者として金銭を介さない無償経済圏であるべきだという信条が根強い。ブログは無償で情報を発信すべきだという信念は、生産者の一方的情報をおしつけるマスコミにたいするわれわれ消費者のためのインターネットという図式で、その成長のエンジンになってきた。

 わたしたちはただみんなに読まれ、みんなに議論され、無償で話題にされる記事を生み出すためにがんばってきた。それだけがモチベーションになりえたし、ブックマークされて多くの人に読まれることは、ずいぶんな承認欲を満足させた。

 だけどいくらみんなに読まれ、話題になり、価値になる知識を提供しても、われわれには一銭の報酬にもならないのだ。なにかおかしくはないだろうか。

 テレビやマスコミではみんなに読まれ、有名になり、話題になることは膨大な報酬や金銭を得る成功を意味した。しかしネットやブログではそういうことがいっさいない。ネットで成功して、有名になっても、一銭も金銭が転がり込まない。わずかな収入としてアフィリエイトが申し訳なさそうにあるだけである。

 われわれは映画やドラマ、音楽が無料で聴けるインターネットに無償経済に巻き込まれているのである。かつて価値があり、膨大な収入をもたらすはずだったコンテンツによる成功がまったく無効になる無償経済に巻き込まれている。

 だから、はてなー界隈では「承認欲求論」がなんども取り沙汰されなければならなかったわけだ。カネや稼ぐことを目的にしないのに、なぜわれわれはこんなにもてる能力や知識を総動員して、ブログに丹精込めて魂をそそぎこむのか。

 それはきっと承認欲求という飢えた欲求がわれわれをつき動かしているにちがいないというわけだ。

 それはたんに有名になれば膨大な収入を得られるという成功譚が、ネットの無料経済によって無効になったから、金儲けというモチベーションを失ったための動因探しにほかならないということになる。

 われわれはなんで収入やキャッシュバックにつながらない無償奉仕をこんなに必死におこなっているのだろう……?


昼間、なにで生計を立てていますか

 イケハヤ氏を叩くわれわれだって、昼間をなにかの仕事をおこなって金儲けやマーティングに励んでいるはずである。この世にはなにも売らないで生計を立てられる人はそういないだろう。

 金儲けを批判しても、われわれは何らかの仕事でなにかを売り、生計費を得なければならない。われわれが昼間ついている仕事にはちっとも金儲けの要素はなく、カネカネカネの活動をしていないといえるだろうか。営業員や販売員の最前線なら数字に追われる毎日があたりまえである。

 そういう人がネットやブログでマネタイズをすすめる人を両手をあげて批判できるだろうか。

 モノを売っている人なら、情報や知識はタダだと思えるかもしれない。友人知人の情報ならいくらでもタダである。しかし情報や知識を売っている人は、ネットのマネタイズを批判できるだろうか。メシのタネなのである。

 イケハヤ氏は広告マーケティングやソーシャルマーケティングの世界からやってきた人にすぎない。情報や知識を売る商売ではあたりまえの思考方式をもっているにすぎないのではないか。

 イケハヤ氏を批判する人は、昼間の商売にかんしても儲けやマーケティングをまったく意識しないずぶのしろうと商売をおこなっているというのだろうか。

 昼間モノを売っている人が、夜ネットでは情報や知識は売り物ではないと怒る。たんにあつかっている商品が違うだけではないのか。


ネット清貧の思想

 「芸術VS商業」の図式というのは、「私利私欲の欲望VS無私の社会奉仕」にいくつく。無私で社会貢献をおこなう私利私欲をなくした人は「聖人君子」というわけである。

 芸術というのは、私利私欲の欲望を払しょくした聖人君子のような坊さんを褒めたたえる図式につき動かされている。カネカネ、名誉栄達をめざさない無私の社会貢献が清くてすばらしいというわけだ。

 坊さんは自己利益の欲望を払しょくしたから、世間に尊敬されるとされる。対して、世間の人はカネや名誉につき動かされたゲスで意地汚い欲望の亡者というわけである。

 芸術には世俗の欲望を断った聖人君子のような清い人が尊敬される。商業主義や金儲けの対極に立った人ということで尊敬される。

 ネットのブロガーも、こういう方向にいっているように思われる。金儲けやカネの欲望がない聖人君子のような無私の人が尊敬されるというわけだ。その動因に「承認欲求」という言葉があてはめられる。


有名なブロガーも一銭の価値もないのか?

 はたしてブロガーというのはこういう清貧の思想、聖人君子のような欲望の滅却をめざしているのだろうか。

 有名や称賛されるだけで一銭の報酬もならないブログ書きで満足できるのだろうか。

 やっぱり自分の好きなことや関心あることでお金を儲けたり、生計を立てられる夢を見たりはしないだろうか。

 ブロガーはべつに清貧の思想や無私無欲の坊さんをめざしているわけではないだろう。

 自分たちの承認欲求、称賛欲のめざした先にはお金にならない、マネタイズされない無償経済のネットが広がっていただけだろう。もしそれがお金になることであったら、お金を儲かることを喜んでいたのではないだろうか。

 ブロガーは無私無欲の聖人君子をめざしているわけなんかじゃありませんよね? 清貧の思想で世俗を超えた称賛をめざしているわけではありませんよね? 

 だいいち、金儲けやマネタイズを否定した世の中でどうやってメシを食い、生計を立てられるというのでしょう?

 多くの人に読まれ、話題になったブロガーの記事やコンテンツにお金の価値も、報酬の価値もないままでいいのでしょうか?



▼「芸術VS商業」の図式を鮮やかに読み解いた本です。

4903341003金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか
ハンス アビング 山本和弘
grambooks 2007-01-01

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▼イケハヤ氏が籍をおいた企業の社長の著作です。ゲラも手伝ったとか。

4048685619キズナのマーケティング ソーシャルメディアが切り拓くマーケティング新時代 (アスキー新書)
池田 紀行
アスキー・メディアワークス 2010-04-09

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