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11 08
2015

右傾化再考

日常にひそむ精神医学と障害者抹殺の思想

 11月7日に放送されたNHK「それはホロコーストのリハーサルだった」を見た。

 【障害者と戦争】11月7日(土)、ETV特集 放送決定!(「それはホロコーストの'リハーサル'だった ~障害者虐殺70年目の真実~)




日常にひそむ精神医学の権力

 戦時中、ナチスはユダヤ人虐殺に先駆けて、精神障害者や知的障害者の計画的安楽死をおこなっていたという重苦しくなる内容のものだった。

 これは戦時中の異常事態ではなく、平常時、日常にすでに根をもっている思想と考えるべきものである。

 つまり平常時にすでに精神医学がもっている権力が、異常時に噴出した、顔をのぞかせたものとして、見るべきものだと思う。

 ホロコーストの前触れは障害者抹殺の思想と実行としてあらわれたが、日常の権力にすでにひそんでいるものがあらわれたと見るべきなのである。

 そういう異常事態にあらわれた事態は、ふだんわれわれが暮らしている社会の中で、いつ危険思想に転嫁しないか注意する必要があるということだ。


進化論と優生思想

 この障害者は社会から抹殺してよい、正義だと考える思想は精神医学や医学から生まれた。国家や民族に貢献しない役に立たない人間は社会から排除すべきだ、安楽死させるべきだという思想は、知識をつかさどる専門家から生まれたものだ。

 ダーウィンの進化論の弱肉強食の思想が社会ダーウィニズムとしてとりいれられ、しだいにそれは優生思想として、弱者や不要なものは社会からとりのぞくべきだという思想に転嫁してゆく。それは断種法として結実してゆく。

 国家や社会に役立たたない者は排除してよい、施しを受けるべきでもないという考えは、日本人の中にも主張するものが多いのではないだろうか。生活保護の受給者にはそういった糾弾を向けられる。

 その考え方が延長されれば、優生思想になり、ナチスの障害者抹殺の思想まであと一歩だ。

 戦時中や異常事態だけのキケンな思想ではないのである。ふだんからわれわれが抱いてしまう考え方ではないのか。


知識人の選別・排除する権力

 ここには知識や優秀さをもった人間は、ほかの人間を裁いてもいい、能力や価値を計量してもいい、という知識の権力を背景にした一方的裁断があり、それは学歴によって社会での価値やランキングが勝手に決められるあり方にもあらわれている。

 知識人や教育者は人の価値やランクを推し量り、その上下優劣を決定する能力があるという思想であり、背景である。

 学校はそういう知識の権力によって、人を裁き、人の処遇を決定しまう不気味な権力でないだろうか。


精神医学の権力

 精神医学はほんらいは人を助け、人の困窮を癒すべき職業である。

 しかし精神医学は健康とそうでないものの判別をおこなう権力をもち、常時、評価が変わってゆく思想や学問によって、社会的排除や社会的不適合者を決定・判別する権力をふるっているのではないだろうか。

 精神医学はあたらしい病名やあたらしい精神現象に異常や不適合のレッテルを貼ってゆき、人々のなかに正常と異常の選別をおこなってゆく。精神医学にはつねに社会的異常や社会的排除の権力を担ってきたのではないか。

 それが国家に役立つ、役立たないという基準と結びつくとき、障害者の社会的排除や社会的抹殺の思想へと流れてゆく。

 精神医学の根底にはふだんから、ホロコーストへとむすびつく思想や権力をひそませているのではないか。だから精神医学のあたらしい病名やあたらしいレッテル貼りにはふだんから警戒しておくべきものがひそんでいる。





健康とナチス

 障害者の反対語はなにかというと、健康であったり、健常者である。障害を社会から抹殺しようとする動きのなかでは、健康への増進や奨励もさかんになるという現象がセットである。

 健康が高らかに歌われ、強制されるとき、すでに障害者への攻撃や批判がふくまれているのではないか。


 わたしは未読だが、ナチスと健康にかんしての関連は次のような本が出ている。


文庫 健康帝国ナチス (草思社文庫)
ロバート・N. プロクター
草思社




 ナチスは「「健康は義務である」をスローガンに反タバコ運動や食生活改善運動を強力に推し進めた」という。

 健康で壮健な人間は国家や民族に貢献するということだろう。だからナチスでは健康推進運動がおこなわれた。国民を健康に屈強にするのは、国家の増強とむすびついているのである。

 国民の健康の増進と同時に、障害者排除と抹殺の思想は連動していたことになる。セットでないと活きてこない思想である。


健康と国家の関係

 われわれの時代はどうか。「健康のために死んでもいい」という風潮さえ目立つ時代である。健康の増進や管理がどこからか聞こえてこないだろうか。

 それはわたし自身のメリットや幸福、長寿のために、恵み深いだれかが導いてくれるのだろうか。

 そこには社会の役立つものをもっと増やし、そうでないものは排除してゆく、といった思想がのぞかせているのではないか。それはだれのために増進し、だれに貢献するために啓蒙されるのか。

 いうまでもなく、国家や企業に役立ち、利用できる価値のあるものだけを選別するためである。

 われわれは健康増進の運動をただ無条件にうけいれて喜んでいいのかという懐疑はもたれるべきかもしれない。健康だけをめざしたのではなく、それは不要や価値のないものの排除や選別にもちいられるものではないのか。

 この思想をみずから内面化した健常者たちは、不要や価値のないものの排除に動くという危険な事態がすぐウラにひそんでいるのではないのか。


異常事態はすでに日常の考え方にひそんでいる

 障害者の社会的抹殺という思想は、戦時中の異常事態だけに発生したのではなくて、ふだんのわれわれの何気ない考え方自体にすでにひそんでいるものでないのか。

 もうすでに考え方や心の中で抹殺や虐殺はおこなわれているのでないか。それは健康や正常という選別のなかにすでに根を下ろしている思想そのものではないのか。

 知識や考え方がだれかを選別や判別をし、その人の運命や処遇を決めることができるという思想をもった時点でその権力はすでに発動しているのではないか。

 もうすでにわれわれはそういう思想で人を判別して、きょうもだれかれは使える、使えないといった評価を下しているのでないだろうか。

 その思想が国家や民族の名の下で社会的排除の正当化と正義化の思想を手に入れたとき、ナチスのような異常事態は噴出してしまうのではないだろうか。

 ふだんからわれわれがもっている考え方自体にその危険な事態はすでに内包されているといったほうがいいのだろう。

 だれかを社会的有用や貢献価値で測る考え方を内面化したときからすでに、その異常事態は根づいているのではないだろうか。


人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫)優生学と人間社会 (講談社現代新書)第三帝国と安楽死―生きるに値しない生命の抹殺ナチスドイツと障害者「安楽死」計画「生きるに値しない命」とは誰のことか―ナチス安楽死思想の原典を読む

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何をもって健康で健全な人間であるというのかが重要だと思う
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