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07 14
2015

セラピー・自己啓発

慢性腰痛というのは「痛みの恐怖症」だったのか

 2015/7/12のNHKスペシャル『腰痛・治療革命』には驚いた。

 慢性腰痛というものが、わたしもなったパニック障害とまったく同じような症状を呈していて、メカニズムも同じようなものだったと最新の医学は発見したというのだ。治すための療法も、認知行動療法が用いられており、これもパニック障害の治療に用いられている。

 腰が痛いので電車に乗るのが恐いといっていた女性はまるでパニック障害と同じではないか。

 慢性腰痛というのは痛みの恐怖により、脳の鎮痛作用がはたらかなくなり、痛みをもう感じないはずの「幻」の痛みを感じているというのだ。

 これはもう痛みの「恐怖症」といっていいかもしれない。痛みの恐怖があることにより、「幻」の痛みを感じる。恐怖が痛みを感じさせているのである。

 パニック障害も同じようなメカニズムである。心臓が止まったり、息ができないような発作を体験することにより、そのことに恐怖を感じ、その恐怖を避けようと電車や閉じこめられるような空間も恐ろしさの対象になり、その空間にいけなくなる。恐怖が増大することにより、ふつうに行ける場所が行けなくなるのである。

 パニック障害は身体の発作を恐がる病気である。身体の異常や症状を過敏に恐れる病気である。その発作があらわれる閉じこめられた空間と恐怖が結びつく。

 慢性腰痛と似ているのは、そのような身体を恐れることにより、パニック障害では逃げ出せない閉じこめられた空間が恐怖の対象になるに対し、慢性腰痛では、痛みの恐怖を感じる、または痛みを避けたり、かばうことにより、幻覚の痛みがずっと継続するということである。

 腰痛では恐怖が痛みを誤まって継続して感じさせ、パニック障害では恐怖が発作をおこさせたり、その恐怖を避けることにより電車などの閉じこめられた空間も恐怖の対象になってしまう。つまり恐怖がつくりだしている「架空の恐れ」なのである。

 NHKの番組では、恐怖を軽減するための認知行動療法がおこなわれる模様が紹介されていた。恐怖を感じさせなくさせる心理療法である。

 じつは恐怖というのは避けたり、守ろうとすれば、ますます恐くなり、増大する性質をもっている。恐怖は避ければ安心がもたらされるが、その陰で避けたものに対する恐怖は増大してしまうし、守ろうとすれば、おそらく筋肉に力を入れて力で守ろうとするのでよけいに緊張や恐怖に力を貸してしまうし、気にしないでおこうと努力するとぎゃくに意識の焦点を合わせることにより、意識することは恐怖を増大させてしまう。

 恐怖というのは、皮肉な感情である。逃げたり、避けたり、守ろうとすれば、よけいに恐くなるものである。幽霊から逃げればもっと恐くなる。だけど恐さを受け入れ、恐さに真正面から向かえば、恐怖はしぜんにピークを描いて消滅してゆく。だけど人は逃げたり、守ろうとして恐怖増大のワナにはまってしまうのである。

 恐怖は真正面から向き合わないと消えない。「な~んだ、恐いものではなかった」と心身ともに納得しないと恐さはなくならない。恐さは避ければ、もっと恐くなるものなのである。

 慢性腰痛は恐怖がつくりだしているものだと番組では紹介されていた。恐怖を鎮めるためには恐さを恐がらない、痛みに向きあう認知行動療法がおこなわれてた。

 腰痛というのは身体の病気や不調と思われてきた。しかしれっきとした精神的な病、恐怖症なのだと番組では宣言したようなものだ。

 精神の病といえば、ありもしないものを恐れたり、わけのわからない恐れが対象の、一般人には了解不能の病と思われている。だけど、腰痛も精神の病だとしたら、おおくの腰痛に悩まされている健常者も精神の病をわずらっていることになる。

 でも考えてみたら、痛みや病気が自分の身体に起これば、だれでも死ぬほど恐れるはずである。自分の病気が治らないかもしれない、再起不能かもしれないといった思いを抱けば、よういに鬱的な状態や恐怖症に近い状態になるだろう。むしろ正常な精神状態でいられるほうが少ないのではないか。

 痛みや病気にそうとうの恐怖を感じるのが、ふつうの人というものである。痛みや恐怖を避けようとするのも、正常な人の反応である。

 しかし恐怖や痛みを避けよう、守ろうとすれば、皮肉な恐怖のワナが待っている。避けることは安心をいっぽうではもたらすが、いっぽうではその痛みや恐怖を不合理なまでに恐れるものにしてしまう。ずっと恐怖状態がつづいてしまう。

 番組によれば、恐怖は痛みの鎮痛作用の脳の部位を働かなくさせ、幻の痛みを感じさせるのだといっていた。恐怖の継続が痛みを感じさせるようなものだ。

 パニック障害は健常者が恐れない電車などの空間を恐れる。不合理なことに思えるが、発作が起こり、避けられない場所とむすびついたものが恐怖の対象になっている。つまりは身体の異常や制御不能を恐れているのである。

 身体を恐れているのは、慢性腰痛のばあいと同じである。痛みをずっと恐れることにより、脳は幻の痛みを感じるということである。

 パニック障害も幻の恐れである。「死ぬかもしれない、発作によって衆人の注目の的になるかもしれない」という「架空の恐怖」がどこまでも広がってゆく病である。「架空の恐れ」に脅かされるのは、「それが恐くない、なんともないことである」という安心を得ていないからである。避けたり、守ろうとして、架空の恐れは不合理なまでに増大してしまう。

 これらはいずれも恐怖というものがネックになっている。避けようと、守ろうという人間ほんらいの本能のようなものが、皮肉なことに不合理な恐怖を増大させている。恐怖はただ受け入れ、しぜんに収まるまで待つしかないという恐怖のつき合い方のまちがいである。

 身体の痛みや病気の恐怖はとうぜんのものである。だれだって痛みや病気がおこれば、恐れるものである。でもその恐れが、幻の痛みを継続しているとなったら、われわれは不用意に恐れを抱いてはならないことになる。そんなことできるか。

 慢性腰痛が恐怖によってひきおこされる幻の痛みというさいきんの医学がそういうのなら、われわれは身体の痛みや病気といったものに、不合理な恐怖を抱くことは危険なことになってしまう。

 身体の痛みや病気に不合理な恐怖を抱かない、仏のような悟りをわれわれはもつことができるだろうか。痛みや病気に苦しんで、はじめて認知行動療法のような知識に出会い、恐怖を軽減してゆくしかないのだろう。

 しかし腰痛でも認知行動療法や精神医学が入ってきたら、これからも身体・器官だけの病気と思われていたものも、どんどん精神的な介在をもたらすようになるだろうな。むしろ心身を分けすぎていたかもしれない。

 病気や痛みなんて生命の危機である。精神的にも危機にならないほうがむしろありえない。精神のアプローチがどんどん広がってゆくのだろうね。


▼NHKのいうような最新の医学や権威のある本かわかりませんが。
心はなぜ腰痛を選ぶのか―サーノ博士の心身症治療プログラム腰痛は<怒り>である 普及版腰痛は脳の勘違いだった―痛みのループからの脱出腰痛をこころで治す心療整形外科のすすめ (PHPサイエンス・ワールド新書)腰痛は心の叫びである

▼認知行動療法が推奨されているのはこちらの医学書ですか。
腰痛診療ガイドライン 2012
日本整形外科学会
南江堂




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Comment

ずいぶん、長く更新が止まっていたので、
まさか不慮の事故にでも遭われたのかと心配してました。無事でなによりです。

同時代を生きる先輩アウトサイダーとして、畏敬してやまない、うえしん兄。
これからも、良書の紹介たのしみにしてます。

しかし、マイケル・ボルダックの本を絶賛されていたので、何か人生の新境地をひらかれたのかと思ってたので意外です。グルジェフも、人間は不安などのマイナス感情にエネルギーを浪費していると言っていますが、なかなか抜け出すのは大変ですね。
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