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12 23
2014

TV評

もし人生をやり直せたら。――『君といた未来のために』を題材に

 もし人生をやり直せたら、どのように生きるだろうか。

 年をとって引き返せない時間が積み重なって、選択の後悔がふえるにしたがって、そういった憂慮に心を動かされる振幅の幅も増してくるのではないだろうか。

 人生はやり直せないのはわかっているから、この人生を生きるしかないというのは自明なのだが、時にはこういった思考のお遊びに身をゆだねたくなるときもある。

 またこの社会は「自分ではないだれかほかの人」に憧れて、その人になりたいと思う社会である。またはそのように焚きつけられる社会である。たえず「あの人がうらやましい、あの人のようになれば人生はハッピーだ」と煽られる社会でもある。「自分以外のだれか」になることが幸せだと洗脳される社会である。「自分であることが許せない」と始終、思っているのがわれわれの社会ではないだろうか。

 そういった「もし人生をやり直すことができたら」という願いを物語化した作品はないかと思い返したら、99年に堂本剛、遠藤久美子主演で『君といた未来のために』というドラマがつくられていた。ひじょうに印象に残っているケン・グリムウッドの『リプレイ』が原案である。人生をなんどもタイムスリップして、リフレインする人生の物語である。

 平均視聴率14.4%で、もうほとんどの人には忘れられた、知られていない作品ではないのか。わたしも見ていなかったし、当時どうこのドラマをうけとったのかも記憶にない。YouTubeで全編見ることができるので、はじめて見てみた。


 
 ▲正月にでもまとめて見てみますか。10話目は終りが頭になっていますから途中から再生を。


 まあなかなか感動できる、深く考えされる物語ではなかったのかと思えた。いくつもの人生を生きるうちに人生にとってたいせつなものをつかんでゆくという物語である。アラはいくらかあげることもできると思うが、「もし人生をやり直せたら、どう生きるか」という問いにはしっかり答えているでのはないだろうか。

 主人公の篤志(あつし・堂本剛)はフリーターのふらふらした生き方を父に叱責される日々をおくっている。1999年の年末に死んで、1995年の12月に生き返るという人生をなんどかリフレインする。

 二度目の人生は過去(未来)の記憶を生かして成功と名誉の人生をおくる。だけど最期にはなにもかも失う。三度目の人生はその反省から、幼なじみの由佳(遠藤久美子)とともに生き、父との和解を手に入れる人生をおくる。

 ひとつの人生が終わったあとの再会は、うれしさがよく伝わってくる。とくに幼なじみの由佳とともに生きることは、幼少期からこれまで生きてきた人生の肯定も意味しており、それゆえにいまある人生に対する肯定の意味をよく伝えていると思う。幼なじみとはこれまで生きてきた人生に対する肯定と受容を象徴するのである。

 このドラマの肝は、失って二度ととり戻せないと思っていたものを、もう一度とり戻す喜びを味わえることである。失ってはじめて、そのよさに人は後から気づくものである。だから失いたくないと思うものは、先につかんでおかなければならない。人生は、このドラマのように二度とくりかえすことができないのだから。

 四度目の人生にリフレインしたときに人生の徒労を感じて、同じリフレインを生きる蒔(まき・仲間由紀恵)とともにこれまでの人生のかかわりを断って農業の人生にひっこむことになる。つぎの人生からはこのリフレインをゲームとして遊ぼうとする黛(佐野史郎)に人生を翻弄されることになる。

 だいたいこの四度目の人生までに人が生きる道のいくつかの選択肢をおおかたは示したのではないだろうか。一度めはフリーターのダメダメ人生、二度目は栄光と名誉の人生、三度目はさいしょの人生を肯定してより豊かになる生き方を模索する。タイムスリップもの、リフレインもののメッセージというのは、だいたいこのテーマで収まるのではないか。いま、ある人生を肯定する、豊かに生きる。

 それしか方法はないのである。そしてわたしたちの心、思考はそうでないこと、そうでありえないことを想像できる。この機能ゆえに「もしかして」、「もし」、「こうなれば」、「こうあれば」とありえないものを想像して、みずからを苦しめる。ありもしないものを思い描いて、みずから苦しめるのである。わたしたちはこの「憑き物」を落としたときに、みずから充足できるのではないだろうか。

 「青い鳥」は外に探しにいくのではなくて、みずからの内にあったという結末に落ちつくのだが、それでも人は外に「青い鳥」を求めてしまうものである。自らのあり方に充足できず、肯定できない。それゆえに不幸で不満な結果がふりつもる。

 肯定や受容はみずから見つけてゆく、つくってゆくという方向でないと、ありえたかもしれない人生、憧れる人生にたいする不満や欠損の意識を埋めることはできないのかもしれない。「見つけてゆく」といったほうが近いかもしれない。そこまでわれわれの人生は、欠損や不備を発見・創造してゆく心に蝕まれているのだろう。


 この人生のタイムスリップの原因は、銀行マンの父にさみしさを感じ、自殺をこころみた母によってひきおこされたものだったという謎解きの結末は、仕事中心の生き方しかできなかった戦後と昭和の男に生き方にたいする批判になっている。

 この物語は父と母に承認されることが大きなテーマになっているともいえる。フリーターに生きる篤志は父から生き方を承認されない。母は承認を与える前からすでに死んでいる、と思われている。戦後の経済が破綻して右肩下がりの時代に、旧来の承認をあたえられる人生を若者がおくれなくなっている。そういう時代に承認のあり方を問うたのである。父と母に承認されて、あるいは母が失われた父からの承認を得ることによってタイムスリップが終わる物語になっている。

 ドラマがつくられた99年は大型倒産などがめだった戦後の経済体制が音を立てて崩れた時期である。仕事中心の、それしかない男の人生の反省が求められた時代である。こういった批判と反省がうながされる時代であった。

 けれどあれから15年たったいまでも仕事中心にものを考えるシステム、価値観が転倒したようには思われない社会のままである。仕事や業績だけが人生の価値、人の生きる価値だという価値観はこの社会を覆っている。どのようにすれば、人生の肯定、生きているだけの肯定と受容といった生き方をできるのだろうか。人生に欠損と不足ばかり見いだす人生からわれわれは抜け出すことはできないのだろうか。


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