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12 10
2014

セラピー・自己啓発

「人生を無価値に生きていい」

 本から得た借り物の知識だけなので、自分の血肉になっているとはとてもいいがたい考え方なのだけど、「人生を無価値に生きていい」という考え方は、折りにふれてこの思想は思い出したいものだ。

 この「人生を無価値に生きていい」「人生を無意味に生きていい」という考え方は、逆説的な意味をもつ。「社会的価値のある生き方をしなければならない」、「社会から称賛され、勲章される貢献を残さなければならない」といった強迫感からの解放といった意味において、この思想は役にたつ。

 人は、社会的価値や社会的勲章といった功なしとげた人生の価値と称賛をおくりとどけて、その反対としての何の価値もなさず、たいして功績もなさない人にたいする自己無価値感の責め苦を煽り立ててしまうことになる。

 「価値ある人生」と「価値のない人生」の対比において、価値のある人生を生きられなかった人にたいする自己への攻撃、自己の悲哀を責めさいなませてしまうのである。だから「価値のない人生を生きてもいい」という言葉は、その悲しみの解放と解脱をもたらす。

 社会はマスコミなどにおいて、業績をなした人、社会に貢献した人、世間をたのしませた人といった有名人、著名人、政治家、企業家といった人たちを褒めたてまつる。一般人もそういう人に憧れ、そういう人になりたいと思い、称賛し、賛美し、功績をたたえる。

 しかしそれがそういう業績をあげ、価値をなし、社会に貢献した人でないと「生きている価値がない」といったことや、「人生がムダ」という強制や強迫に聞こえた時点で、その価値観はずいぶんと人を責め立て、人の無価値感を刺激し、人生の悲哀感を煽るだけの「凶器」になってしまう。社会的価値のある人を褒めたたえる社会というのは、そういう業績をなさない人にたいする無価値感や無意味感をずいぶん強迫する社会なのである。

 そういった文脈において、「価値のある人生を生きる必要はない」という言葉はずいぶんと心を解放する。うつ病にたいして「がんばれ!」という言葉はかけてはならないという処方にも似ているだろう。

 価値ある人というのは社会的貢献をなした人や社会的業績を上げた人である。社会的価値の次元に属するものである。この社会はそういった交換や交流においての価値を社会の有用性ゆえに価値をおくのだが、この世界はそういう人間界のモノサシ、思量だけでは測り知れない人間界の外部をもっているものである。人間が測るもの、社会の価値だけで測るものの世界に閉じられるわけではない。人間界は人間の利用価値だけで測るわけだから、人間に有用なもの以外は無価値になるのだが、この世界は人間の利用価値のためだけに存在するのでない。人間自身も人間界のモノサシだけで測られるものではない。

 人間界のモノサシだけなら動植物は人間に食べられるから価値があるというモノサシだけになってしまい、当の動植物にとってはそんな価値は笑止千万なものになるだろう。

 そして言葉や意味といったもので測られるものも人間の効用を超えられるわけではない。すべて人間界のモノサシや尺度でしか測られないわけだから、人間ご都合主義の外側に出るには、言葉や意味の外に出なければならない。言葉や意味で測れないがこの世界である。人間の尺度で、人間の価値や有用度を測っても、しょせんは人間界のものである。たとえば「天」や「宇宙」、「神」といった尺度から測れば、その有用・無用は、人間の尺度など無用なものになるだろう。

 人間はおのれ自身の人生や命の価値や意味を測れない。測れるのは社会的に有用や価値があるのかといった貨幣的価値だけである。生命、人生の価値は、そういった人間界、貨幣界の有無用だけで測れるものではない。測れるものは社会的価値だけであって、生命の価値、生存の価値まで測れるわけではない。

 われわれは生まれたときから社会的価値のある人間や行動をするように仕向けられ、それだけが人生の至上目的になるように育てられる。社会的価値だけで測る世界で生きるようになる。そして社会的価値が足りないとか欠損しているとかの嘆きや悲しみとともに暮らすようになる。しまいには自分の人生は無価値だったと嘆く。

 無価値であっていいのである。人間にはその価値や意味を測れないし、測られるとしたら社会的価値内のことだけである。生命や存在はその狭い次元だけの存在ではないのである。

 人が社会的価値をめざして生きることは社会の功績に貢献するだろう。しかしそれが昂じて競争し、責め合い、けなし合い、いがみ合い、蹴り落とし、また自分の人生を無意味で無価値であったと嘆くなら、その価値観の推奨は人の安寧や平穏に貢献していないことになるだろう。凶器や兵器になっているとしたら、これほど恐ろしい害悪もないわけである。

 人生の価値や意味を測らない。人生を無価値に無意味に生きていいのである。人生を棒に振ってもいいのである。そう思ったとき、人生はもっとラクで解放された、のびのびしたものとなるだろう。


▼人生を無価値、無意味に生きていいという本はこれらの本しか思い浮かばない。仏教や隠遁の思想なんだけど。ひろさちやはあくまでも一例。

捨てて強くなる捨てて強くなる―ひらき直りの人生論 (ワニ文庫)
桜木 健古
ベストセラーズ 1984-01

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わたしの書評。「人間の比較優劣を超える―『捨てて強くなる』 櫻木 健古

4480087494気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)
真木 悠介
筑摩書房 2003-03

by G-Tools


わたしの書評。 「『気流の鳴る音』 真木 悠介




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Comment

お久しぶりです。

さて、日本人学者がノーベル賞を受賞して、大変素晴らしいことではありますが、ステイタスを無条件に賛美することはよろしくないですね。

これから読もうと思っている、村上龍の「五分後の世界」。その帯にはこう書かれています。
「人類に生きる目的はない。だが、生きのびなくてはならない」

これからもブログを楽しみにしています。

では。
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