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11 14
2014

右傾化再考

尊厳の回復の道すじを――『ナショナリズムは悪なのか』 萱野稔人



 右傾化は、社会的排除による「尊厳の回復」をめざしているのだという指摘をうけて、そちらの回復の道すじについて考えたくなったのに、基本にたちかえって国家とは、ナショナリズムとはなにかと問う本文はほとんどどうでもよいことのように思えた。

 社会的排除されていった人たちへの尊厳の回復はどうやってなされるか。そちらの問いのほうが気持ちのうえにずっしりとのこった。

 この本はタイトルのとおり、左翼陣営からなされるナショナリズム批判にたいしての根本的な嫌疑をはさむ問いかけになっている。ナショナリズムを批判しておきながら、格差の是正を国家にもとめるのは左翼ではないのか。アナーキズムで国家を否定しても、独占暴力はかならず必要とされるのではないのか。左翼陣営の根拠なき思い込みの根源を問いなおす作業をおこなってゆく。

 さいしょの問いのインパクトに比べれば、そういった問いなどてんで重要に思えない。そもそも日本で軍国主義がそんなに警戒されている理由をまったくすっ飛ばしている議論に思える。戦後の日本の議論の接続がなくて、著者お得意のフランス思想戦隊がいきなり飛来してきた感じw ナショナリズムの立ち上がった経緯、フーコーの近代化論など、さいしょの問いかけに比べて、かすんで仕方なかった。

 「国内経済を保全するというナショナルな経済政策が、国民国家をファシズムに向かわせないためには不可欠なのだ」というのが著者の立場。

 ナショナリズムを生理的に嫌っておきながら、国家に依拠するのはおかしい、ナショナリズムを批判すればするほど経済や尊厳の回復を必要とする人がふえるのではないかといった生理的左翼にたいする根本的な懐疑。「他者性の抑圧」を道徳的に非難しても問題がズレていますよという指摘。まあ生理的に反発するのではなくて、足元をもういちど見直してみようという提言。

 いや、やっぱり社会的に排除されたり見下げられてきた非正規や地位低下に苦しむ人たちの尊厳や自尊心の回復はなにによってなされるのか、そちらの問題のほうが気になって仕方がない。おとしめられた尊厳という問題を軽んじてきて、ナショナリズム批判だけに傾きがちだったわたしにインパクトを与えてくれた。


民族とナショナリズム定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)ネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)監獄の誕生―監視と処罰



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