HOME   >>  右傾化再考  >>  近代国家は郷土愛ではない――『愛国の作法』 姜尚中
11 12
2014

右傾化再考

近代国家は郷土愛ではない――『愛国の作法』 姜尚中

愛国の作法 朝日新書
愛国の作法 朝日新書
posted with amazlet at 14.11.12
姜尚中
朝日新聞出版 (2012-08-01)


 この本でいちばんおどろいたのは、ふるさとの郷愁といったものが祖国への愛ではないと言い切ったことである。

「日本国憲法の「国家」とは、「憲法の定める統治の基本秩序」を指しているのであって、それ以前の裸の美しい国土とか文化、伝統ではないのです」



 郷土愛の延長に国家があるのではないと姜尚中はいう。

「近代の国民国家は、まさしくそのような「パトリア(郷土愛)」の連続的な拡大を切断するところではじめて成立したのです。

ナショナリズムは…「故郷離脱(エグザイル)から生まれたのです。つまり、「ナショナリティとは、自分に生をあたえ育んでくれた故郷のふところへ戻ることを、もはや容易に夢見ることができないときに生じる」(アンダーソン『比較の亡霊』)ようになったのです」



 基本的に国を愛する、国を思うといえば、審美的、情緒的な言葉でいろどられた国土や文化、伝統などをいったりするのだが、近代国家はその切断から生まれた契約のものだというのである。

「生まれた故郷への愛は、「祖国への愛」を含むものではないのだ。祖国には、自分が見たこともなく、したがってまた何ら幼少期の思い出に結ばれてもいない町や村のすべてを包含しているからである」 ミヘルス



 郷土愛や里心は戦意高揚の障壁や厭戦気分になることが多く、国民的連帯を破壊し、家族的エゴイズムが国策遂行の障害になることも多かった。

 ロマン的な自然国家ではなく、契約された人口国家こそが、近代国家なのである。この違いを強調するのは、国土や文化の美しさを語るどこかの総理大臣を揶揄していることはいうまでもないことだろう。


 ほかに戦死者が社会的相貌をはぎとられ、善性や無垢な性質を付与させられてしまう批判や、フロムを援用し、自由を放棄し、強大で永遠的なものの力と栄光にあやかろうとする社会心理を批判している。

 パトリアから切断されたナショナリズムといったものを、どれだけロマン主義な愛国心への批判として活用してゆけるのだろう。


比較の亡霊―ナショナリズム・東南アジア・世界新しい国へ  美しい国へ 完全版憲法論 : 【付録】ワイマール憲法祖国のために死ぬことパトリオティズムとナショナリズム―自由を守る祖国愛


関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top