HOME   >>  レイライン・死と再生  >>  性の解放はなんのために?――『愛欲三千年史』 中山太郎
09 11
2014

レイライン・死と再生

性の解放はなんのために?――『愛欲三千年史』 中山太郎

             

aiyoku_20140911164352d76.jpg
 『愛欲三千年史』 中山太郎
 昭和10年・1935年刊
 近代デジタル・ライブラリー


 こんにちでは手に入らないこの本を近代デジタル・ライブラリーでダウンロードまでして読みたかったのは、大和岩雄の『遊女と天皇』に多くの箇所が引用されていたから。すなわち引用されている部分は、むかしの日本の性的解放と放縦の民俗的資料。

 なぜそのような部分を読みたいかというと、そのような性的放縦が豊穣祈願とむかしの世界観にかかわってくる重要な部分だから。農作物の豊作と人間の性は平行して考えられていて、人間の性行動の旺盛さは豊作につながると考えられていたからだ。

 つまりのりうつった神相手に性の饗宴をおこなうのであり、もしくは神の性欲を刺激して性行動を旺盛にさせ、農作物の稔りを増やすとむかしの人は考えていたわけだ。秋の実り、宇宙の事象は、そのような神の性行動によって生まれるとされていた。ゆえに人間の性行動も旺盛でなければならない。このような関係の確認には、中山太郎の赤裸々な性民俗資料が欠かせない。

 中山太郎も以下の箇所ではっきりとそのことをいっている。字がつぶれて読みにくくて申しわけないが、近デジ自体、だいぶ文字がつぶれているので仕方がない。国会図書館での心ない人によっておこなわれたこの本の傍線引きも文字をおおっていて、読みにくくて極まりなかったのだが。

BxOFX-ECIAAabtf.jpg


 「即ち古代の民族は宇宙間のあらゆる事象を××(性交か?)の結果であると信じていたのである。換言すれば天を父とし地を母とし、此の天父地母の××によって萬物が生まれるのであると考えたことである」

 このことによってむかしの日本で性的解放や性的豊穣がおこなわれた理論的根拠をうることができるだろう。ただ堕落や快楽のためにおこなわれたのではなくて、世界観や祈願だったのである。性的放縦が豊作や豊穣をもたらしてくれる、それらはその結果によるものだから、という世界観をもっていた。性的放縦の反対は、不作や飢餓、冬、死であったのである。

 明治以降はこのような日本の土着的な風俗は、西洋化にともなって政府や警察の度重なる取締りをうけ、都市生活への流入や分断をへて、かつての日本のような性風俗・世界観も断絶するにいたった。

 こんにちではまったくそのような性風俗をおこなった理由・世界観を知ることもなくなった。

 わたしは古代にあったと思われる太陽の日の出と日没、寺社仏閣をむすぶとされるレイラインという世界観をさぐるうえで、この世界観に出会うことになった。導き手は井本英一や大和岩雄である。

 太陽の日の出と日没、あるいは春夏、秋冬の対立は、生と死であり、再生への祈りである。その関係をむすびつけるのは、大地に神の性をみる世界観であり、その世界観は人間の性関係も象ることになっていたのである。わたしたちはこの古代から明治や大正、昭和のはじめまで残っていたかもしれない世界観をすっかり忘れてしまっているのである。


 たとえばつぎの「性的祭礼考」の章では、祭りのあとの性的放縦の事例が全国からたくさん集められている。この茨城県北相馬郡の例では、女の身体が丈夫になる、良縁に会うことができるといった世俗的な理由によってだれかれともなく肌をゆるすとなっている。この事例を豊穣祈願の世界観とそれを知らないとでは、だいぶ意味が異なるだろう。

BxOHF18CYAAdS7q.jpg


 つぎの「嫁盗考」では日本にもむかしあった嫁盗の習俗が、各地から集められている。この章では「神の嫁」であったがゆえに「盗んで」こなければならなかったという解釈を、中山はあまり語らないのだが、初夜権を神に捧げた名残りと同じようなものがふくまれているのだろう。

BxOGflpCIAA4YJS.jpg


 つぎの箇所では、娘は村の所有物であり、十五になれば村の若者に捧げるべきであり、拒めば親の監禁と非難が待っていたということである。中山は神の介在をあまりあげていないのだが、かつては神への捧げもの・おもてなしといった儀礼の名残りであったかもしれない。

BxOGA95CAAAbJq-.jpg


 500ページの大部であり、奴隷や人身売買といったかつて日本にあった暗部をとりあげたり、愛欲や「変態」といった字句もよく使うように下世話な話もとうぜん多く出てくる書物である。わたしは神や豊穣祈願のかかわりとして読みたいので、それと関係のない大部分は、いささかへきえきとして読まなければならなかった。「エロ・グロ・ナンセンス」といった要素も多くふくみ、正当な学問としての民俗学は、この部分はあまり公にしたくなかったといえるかもしれないね。

 中山太郎は『売笑三千年史』がちくま学芸文庫から文庫化されたが、この『愛欲三千年史』がふたたび日の目を見ることはあるのでしょうか。

 赤松啓介の『夜這いの民俗学・性愛論』に衝撃をうけた方は、この本に進むべきなんだろうね。赤松啓介は世俗化した性風俗しか捉えていなかったが、この性風俗にはかつて「聖なる世界観・神々と交合をおこなうコスモロジー」があったということを覚えておいてほしいね。


売笑三千年史 (ちくま学芸文庫)遊女と天皇(新装版)夜這いの民俗学・夜這いの性愛論名著絵題 性風俗の日本史 (河出文庫)

盆踊り 乱交の民俗学豊穣と不死の神話蛇 (講談社学術文庫)性の民俗誌 (講談社学術文庫)


関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top