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08 25
2014

右傾化再考

日本の自尊心をどう立て直すかという四度目の挑戦

 経済大国の自尊心がバブル以降凋落してしまって、国家の自尊心を満足させられない人はさまざまな手を打って、国家の自尊心を浮上させようともがいている。

 嫌韓やヘイトスピーチはだれかを貶めて自国の優越感をもちあげようという末期の症状だろうし、気持ち悪い日本の自画自賛本もおおく出されて、自国の自尊心が慰められている。自虐史観という自国へのネガティブな見方を修正し、あるいはなかったことにして自国の礼賛と自尊心の保持をねらおうとする歴史認識も、この一連の流れのひとつだろう。


▼隣国はこんなに愚かで、自国はこんなにすばらしいという自慰本。悲惨なほど出ている。
呆韓論暴走と崩壊が止まらない! 仲良く自滅する中国と韓国韓国人による恥韓論 (扶桑社新書)犯韓論どの面下げての韓国人 (祥伝社新書)

だから日本は世界から尊敬される (小学館新書)イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか (新潮新書)日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか (徳間文庫)日本人だけが知らない 世界から絶賛される日本人 (徳間文庫)


 これらの運動は、ポジティブ心理学の流行と似ており、連動しているといえるだろうか。「自分をほめろ、悲観的なことは見るな、前向きになれ」――そういったポジティブ心理学の教条が、国家主義にも押し寄せているかのようだ。ポジティブ心理学というのは、他者蔑視と不都合な認識は存在しないものとみなす詐欺やまやかしも含むものなのか。

 今回の国家自尊心の再興の特徴は精神主義であって、客観的な外的条件の再興がともなっていないことである。経済的な好機が押し寄せているわけでもないし、国際的な期待が高まっているわけでもない。ただ劣等感や閉塞感の打破という内面的な鬱屈からの解放が求められているだけだ。そこが先の大戦のような現実無視の危機に近いのである。

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 近代以降、三度の国家自尊心の再興があったと考えられる。一度目は明治維新の列強入り、二度目は昭和初期の皇国的拡大主義、三度目は戦後の経済大国への道。こんかいは四度目の挑戦である。

 成功したのは列強入りと経済大国への道であって、二度目の再興は大きな惨劇を与えて失敗した。こんかいの四度目の再興はこの二度目の再興とひじょうに似ている。外的な要因によるものの勃興ではなくて、内面の鬱屈による再興が願われ、精神主義であることが、危険な共通性をあぶりだしている。

 自尊心の凋落による再興は失敗してしまうのである。外的な好機が好上昇をもたらしているわけでもなく、ただ内面の鬱屈による再興であり、精神主義による現実拒否をともなうからだろうか。

 幕末明治、戦後は経済欠如による再興が可能であり、物資的な経済復興がのぞまれた。ために経済的上昇による自尊心獲得が可能であった。この二度の構築は成功であったといえるだろうが、昭和初期の復興は凄惨な惨劇をもたらした。こんかいの復興はこの三度目の失敗にひじょうに似ている。

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 この四度目の自尊心の再興が、失敗しないで成功する方法はあるだろうか。

 経済大国の自尊心は凋落してしまって望むべくもない。自国の人たちに経済的な野望はもうない。文化的な自尊心といったものは自動車や時計、機械といった経済的優越と同一だったのであって、アニメ文化が自国の誇るべき自尊心として機能しているかといえばあやしい。あとは武力的な自尊心に頼るしかないのか。この復興はぜひとも避けたいのであるが、鬱屈した国家的な劣等感はそういった力に頼るしかないほど追いつめられるものだろうか。

 戦後の日本は経済力というモノサシで、「先進」と「後進」を測ってきて、その自尊心や優越感を満足させてきた。バブル期にはアメリカに次ぐ超大国として、アメリカさえしのぐといった自尊心を満足させられた。この二十年でそれはすっかりと凋落してしまい、自国の自尊心は地に墜ちた。

 韓国や中国に追い上げを喰らい、GDPでは中国に二位の地位を奪われてしまった。そういった追い抜かれる恐怖に負けた一部の人たちは、これらの国を叩き、侮蔑することによって、かろうじての自尊心、優越感にすがろうとしている。負けてしまい、誇れるもののない一部の人たちはそうすることでしか自尊心を安定・補給することができないのである。そういった杭打ちが追い抜かれることをふせぐ手立てになるはずもないのはわかりきっているのだが、勝っていたと思っていた者が負けを潔く認めるのは心理的にかくもむづかしいものなのか。

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 経済大国の自負心をみょうにひきずってしまうことが、負けを受け入れることのむづかしさを大きくしている。

 日本はゆるやかに衰退していき、経済の中心からとりのこされ、かつての経済大国としての栄華と世界史上において殴りこみをかけて日本はしずかに世界の片隅の忘れられた小国へと戻ってゆくのだ、そういった諦観をうけいれることをできない国民たちは、さまざまな復興と打開策をもちだすだろう。

 衰退と諦念をうけいれれば、この国はおだやかに年老いてゆき、余生をしずかに過ごせるだろう。そういった選択をこの国の人たちは選びとるのだろうか。

 「世界」という競走場において、世界の勝利や優越をねらう価値観は、日本において衰退したわけではなくて、ワールドカップのような世界の舞台においての競争心はこの国ではまだまだ強い。その「世界」という表象がかなり西欧中心主義に偏っているのだが、「世界」という表象で優位をめざす日本人の競争心は潰えたわけではない。経済大国の凋落のあとにもこのエネルギーがくすぶりつづけると、日本はなんらかの方法で世界への再登場をねがうことだろう。

 他国はこんなに愚かで劣っていて、自国はこんなにすばらしく、称賛に値する、こういった言説がちまたにあふれ、凋落するいっぽうの大国自尊心を慰めている。困ったことに経済指標は数値で測れる客観的なモノサシであったが、蔑視や称賛は客観的な数値のモノサシがあるわけではない。なにかもっと確実なものを求めようとする手段が危険なものにならないとだれがいえるだろうか。

 世界の経済の繁栄地というのはだいたいは100年ごとに移り変わっていて、日本は西欧からアジアへと向かう転換期にひとつの橋渡し、役割を果たした。世界帝国になれなかったとしても、一定の役割ははたしたし、文化的影響度も世界にこんなに広がったのはかつてなかったことだろう。

 世界の繁栄は順番であり、持ち回りであり、いずれバトンタッチするものである。日本はそのような衰退と後退をしずかに受け入れられるだろうか。なだらかな下り坂を受け入れず、必要以上の再興や復興が願われたとき、日本はふたたび凄惨な道に踏み入れてしまうのだろう。

 勃興している自国の自尊心再興という動きがこじれるとき、かつての惨劇の道は開かれてしまうのだろう。観念や精神で慰められる国家の自尊心がレールを踏み外して、危険な空想の領域に踏み込まない安全柵はどこにあるのだろう。


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Comment

「自尊心」というものは「生活圏内を自然体で過ごす」という行為の積み重ねで培われていく健全さを言うように思えます。

「自国を賞賛して隣国を貶める」というやり口は中国・韓国が数十年にわたり日本を標的にしてやってきた事なので。
日本側がそれをする時には「どういう心理的姿勢からそれをするのか」が大事だと思います。

分析・批判は「影響を受けたくない時に、降りかかってくる影響力を相対化・無効化する為に行うもの」なので。
それを踏まえた上で「バッシング」が他国で起きてた事・自国で起き出してる事を自覚する人が増えた方が良いと思います。

このまま行っても戦争が起こる可能性は低いと思いますが、アングラ下で在日特ア人狩りが起こる可能性は高いと思います。
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