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08 19
2014

右傾化再考

「日本人でないもの」の分岐――『文学者たちの大逆事件と韓国併合』 高澤 秀次

4582855555文学者たちの大逆事件と韓国併合 (平凡社新書)
高澤 秀次
平凡社 2010-11-16

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 それぞれの章が濃密すぎる内容だったので、全体的に大逆事件がどうかかわっているのか全体の展望をつかみきれない感じだ。

 大逆事件は「日本である」と「日本人でない」を分かつ分岐であったとのべ、柳田國男の山人論を「日本人でないもの」をあぶり出して、「日本人であるもの」をうきぼりにする試みだったといわれている。

 漱石論が出色で、『それから』の時代設定が日露後と大逆事件直前であり、その階級没落の物語であるということに強く興味をひかれた。代助は明治の国家的奉仕に背を向け、そのかわりに他人の妻を奪いとる。「男同士の絆」「ホモソーシャルな秩序」の悲劇を描いたというのだが、のちの荷風や谷崎が選んだような政治的無関心と女性への耽溺といった先駆をなしているのではないか。

 戦後でも政治的闘争に打ちのめされたあとには若者たちは恋愛やアイドル、アニメの美少女といった非政治的な個人的快楽に後退した。大逆事件のように弾圧される政治抗争から身をひいて、人生をたのしめといった個人主義のほうがこの国では生きやすいといった諦観やポーズのように思える。

 植民地朝鮮と部落差別民の項目があまりにもおどろおどろしい。

 注目すべきは柄谷行人が60年周期説で、抑圧されたものの回帰が昭和戦後に再現前するととなえていることだ。わたしは80年周期説にこだわっているので興味深い。明治11年と昭和11年、明治45年と昭和45年の反復といったアナロジーを用いている。80年周期説はピークの日露戦争、バブルの前後半の40年に分けているのだが。

 大澤真幸は見田宗介の概念をひきついで、戦後の時代区分を、「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」と分けたそうで、著者はこの本で明治日本においてもくりかえされていたのではないかといった検討をおこなう。まさしくわたしがいまやっていることで、『不可能性の時代』(岩波新書)はぜひ読んでみたい。

 ところで村上春樹の『羊をめぐる冒険』は、三島由紀夫の『夏子の冒険』のパロディーであるという指摘にはびっくり。戦後の倦怠と欺瞞を逃れようと、北海道という植民地主義を連想させる土地に情熱をもとめにいくという物語だ。村上春樹は冒険の不可能性の探索と、再喪失という物語を再反復していると。

夏子の言葉。「男の人たちは二言目には時代がわるいの社会がわるいのと、こぼしているけれど、自分の目のなかに情熱をもたないことが、いちばん悪いことだとは気づいていない」

 わたしのいまのテーマは近代精神史なのだが、文学者をたどることがやわらかい精神史をいちばん表すのだろうかと思った。外形的な政治史ではうきあがらせることのできない人々の心理の推移は、どこに求めればいちばん浮き出てくるのだろうか。


大逆事件と知識人―無罪の構図不可能性の時代 (岩波新書)増補 虚構の時代の果て (ちくま学芸文庫)夏子の冒険 (角川文庫)それから


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