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07 27
2014

社会批評

犯罪者報道の不快さとロリコン・オタクのポリティーク

 少女誘拐のような事件がおこると決まってマンガ・アニメに親しんだ犯人像が報道をにぎわせ、そういった趣味をもつ多くの人は不快な気分におちいることになる。「おまえは犯罪者だ」といわれているような気分にさせられる。

 犯罪者は、その犯罪者特有の性格ではなくて、その時代の多くの人が共有している趣味や嗜好をもっているのはとうぜんのことである。大多数の人が共有しているものをもっているのが時代を共にする人がもっている特徴なのであって、犯罪者だけの特殊な性向をさがすほうがむしろむづかしい。犯罪者報道はその特徴を多く共有する人たちに、「犯罪者予備軍」のレッテルや疑いを貼って、多くの人を不快な気分にさせる。

 犯罪報道は犯罪者特有の犯罪にむすびついた性向をあらわす意味でその性向や特徴をあらわそうとするのだろうが、おおくのばあいは時代を共有する人の特徴をあらわすにすぎず、「犯罪者あつかい」された人たちは不快な気分を味わうことに終わる。


こんにちの選別・排除する権力

 この報道は現代の統制や排除としてはたらく権力として機能しているのだろうか。「犯罪者あつかい」されるような趣向や嗜癖をへらし、もしくは威嚇する機能としての権力をにぎっているのだろうか。

 人々を「選別し、序列づけ、排除する」ことがこんにちの権力者の要件である。それはこんにち学校や医学が担っている。学歴で選別づけられた若者たちは企業のヒエラルキーによって序列・選別され、それぞれに遇した人生環境を割り当てられるようになっている。学校は人生を選別する巨大な権力をにぎっている。

 だから非行少年や不良学生は自分たちの地位を低く貶める学校に反抗したのであり、この権力にたいする反抗は、TVでのお笑いの勃興やマンガ・アニメでの趣味の世界への逃避・反逆をもたらしている。

 医学は伝染病やばい菌といった人の生死をおびやかす病気を排除する知識であって、まったくの「正義」と思われているのだが、たとえばその排除のはたらきは、子どものいじめの「ばい菌」あつかいに端的にあらわれているように、人の「合格/不合格」を選別する権力も担っている。医学は「正義」ゆえにその選別・排除の方法は、「聖化」をおびて権力の絶対化をもたらす。現代の嫌煙運動にその作用をみとめることができるのではないのか。

 犯罪報道というのは、この選別と排除の権力をTVや新聞のニュースが左右しているあらわれではないのか。犯罪者という「人間でないおこないをした者」、「こちら側ではないあちら側の者」という選別と排除をすることによって、「われわれ」の世界からの追放と線引きがおこなわれる。「おまえも犯罪者」という疑いや不審をまき散らすことによって、この権力者はみずからの力を増大させているのではないか。

 「犯罪者」として疑われること、見間違われることほど不快やいやな気持ちになることはない。それはかつ低成績学生が教師にレッテルづけられた不快感と似ているだろうし、学校空間でいじめをうけ排除された子どもの心に通じるものがあるかもしれない。選別と排除の権力は、われわれを一方的に裁き、序列づけ、排斥する権力を有するのである。


オタクはなにと闘ったのか

 少女への性犯罪がおこるとオタクほどまっ先に疑われる趣味の人はいないだろう。なぜこの人たちはこんなに疑われ、嫌悪され、親の仇のようにされるのだろう。オタクはなぜこんなに関係性をこじれさせたのだろう。嫌悪や犯罪の脊髄反射的な反応だけではなく、違った見方を見てみたい。

 そもそも、オタクはレジスタンス(抵抗・反抗)であったと思う。低序列、差別化された自分たちの境遇を、マンガ・アニメという二次元にこもることによって、その選別の権力を「無化」、あるいはスルーするいっしゅの戦略であったと思う。学校の権力に低序列化された者たちが反逆をくわだてたように、オタクたちもみずからの砦にたてこもって、「たたかった」のである。

 「イケメン」であったり、「モテ」であったり、「リア充」、「恋愛至上主義」、もしくは恋愛・結婚の「金銭・功利化」にたいする抵抗であり、篭城ではなかったのか。二次元に篭って、リアルな男女関係からの逃走をはかった。

 基本的に男女平等社会における逃亡や篭城ではないのか。「男のいうとおりになる、いいなりになる、自分の思いのままになる世界」をマンガやアニメにもとめた。独善的な利己主義な世界が叶わないなら、二次元の創作や妄想の世界でたのしんで、そこから出ることはない。

 こういったレジスタンスによって、女性からの嫌悪や風当たりは強くなっていったのではないのか。これは男の意のままになる「ポルノ」である。現実の女性の抵抗や葛藤をこうむることもない。ある意味、女性の地位向上や権力増強においての男の抵抗や不承認であり、また男の弱さ・メンツなどの脆弱さの保護でもあったのだろう。

 女性の地位・権力が上がるにしたがい、男のメンツや沽券といったものが叶わなくなり、逃走したのが二次元のオタク空間ではなかったのか。それによって思い通りになる、男の欲望のいいなりになる女性の低年齢化・少女化はすすむことになった。男の地位やリードが可能になる女性は、低年齢化によってしか補えなかったといえるだろうか。

 ロリコンというのは女性が強くなったゆえの、男性の思い通りになる女性の低年齢化によってしか贖えなかった男性の弱さ・脆弱さを意味するのではないのか。少女を愛するというよりか、思い通りに、男の沽券を満足させる女性は、低年齢によってでしか満たせなかった男の隘路をあらわすのではないのか。


男と女の力関係のバトル

 じつはロリコン問題というのは男と女の力関係のバトルが、少女に降りてきたのではないのか。

 ひとむかしまえの男尊女卑の時代なら、女性の結婚年齢が12、3才になって男ののぞむように結婚年齢が低年齢化していたこともありえたかもしれない。歴史的にも世界的にも結婚の低年齢化はふつうにある。

 これはある意味、労働者の低年齢化による青田買い、低時給化の流れと似ているといえるかもしれない。児童労働なら大人のような高給も払わなくてすむといったかたちで、それが禁止されるまえに児童労働は横行した。工場は低時給で働ける児童を欲し、それがだめになると世界の低賃金が可能な国に労働力を求めた。

 ロリコンも青田買いである。男のいいなりになる、思い通りになる女性の青田買いである。それを女性が徹底的に嫌悪し、警察関係も取り締まる。男の低賃金夢想は、どんどん低年齢に降りていったのである。

 嫌悪感や不快感でロリコンというのは禁忌されるのだが、それは女性自身の低価値化の防御であり、安売りされてしまうことの抗戦なのであろう。

 男は安く買おうとして、女は高く売ろうとする経済的攻防がここでくり広げられているのではないのか。

 じつはこの問題は男女の権力関係、力の拮抗を闘う場ではなかったのか。男のいいなりになる女性を男は求めて、女は男のいいなりになんかはならないといった闘いが、少女への性犯罪周辺でおこっていることではないのか。

 性犯罪問題というより、ポリティカル(政治力学的)な問題ではなかったのか。オタクは三次元の夢想をあきらめ切れなかったのだろうか。


欲望のゆくえ 子どもを性の対象とする人たち援交少女とロリコン男―ロリコン化する日本社会 (新書y)明治のセクシュアリティ―差別の心性史男権主義的セクシュアリティ―ポルノ・買売春擁護論批判 (シリーズ現代批判の哲学)セクシュアリティの戦後史 (変容する親密圏/公共圏 8)


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Comment

でも普段のキモオタ共の言動って気持ち悪いし不快で犯罪臭いものが多いよな
これじゃ言われても仕方ないって反省しろよキモオタは

コメント欄の名無しさんへ。
その発言、いじめで暴力を正当化するときの物言いにすごく似ていますね。
罵倒して殴ったけど、原因は相手にあるんだから自分は悪くないと。
俺のほうが不快な思いをさせられたんだから、殴っても仕方ないのだと。
それは大変おぞましい思考だと思いますよ。

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