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07 18
2014

右傾化再考

第二の国家目標の失敗者――『大川周明』 大塚 健洋

4062919362大川周明 ある復古革新主義者の思想 (講談社学術文庫)
大塚 健洋
講談社 2009-02-11

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 大川周明とはなに者だったのか。学者であり、宗教者であり、アジア主義者であり、社会運動家といろいろな顔をもつ。学者にいちばん近い感がするのだが、宗教者の根本もつよくもつようにも思われる。

 大川周明は明治19年、1886年に生まれており、明治の国家目標が達成された明治38年には19歳であった。つまり大川は成人ころに国家目標の達成に出会い、その後を国家目標喪失の「煩悶」の時代を生きなければならなかった求道者の青年ということができると思う。

 学生のころには社会主義にめざめ、その後失望をおぼえたあとには宗教的求道に走っている。かれは国家目標喪失の時代につぎなる生きがいや生きる道を探し求めた「自分探し」の青年だったといえる。それを個人のアイデンティティにもとめず、国家にゆだねたゆえにかれの人生と影響は甚大なものとならざるをえなかった。

「明治日本の理想は我が国を世界の強国たらしめることであり、それは日露戦争の勝利によって少なくとも外形だけは実現した。

しかし、そのためにこれまで張りつめていた国民精神は緩み、沈滞退廃の風潮がみなぎり始めた。これは明治の理想に代わる大正の新たな理想が、いまだ確立されていないことに原因がある。今日の急務は、国民を熱火の如く燃え立たせる雄渾なる理想を鼓吹することにある。

それは日本をアジアの指導者たらしめんとする理想の外にはない」



 この第二期の目標がその後の日本やアジアに多くの犠牲を払わせることになった。沈みかけた船を再浮上させようとした試みは由縁のないことではない。しかし一度沈みかけた船をもがいて再浮上させても、もう時期や情勢はいぜんと同じようなものではなく、水泡に帰する可能性が高いように思われる。失われた国家の自尊心をとりもどそうとして、破綻の方向に国家は導かれたのではなかったのか。

 大川は大正のころはアジアの解放者としてふるまったが、昭和期にはアジアの抑圧者・侵略者という顔になっていた。下からの解放者は、上からの抑圧者になっていたのである。大正期には西欧の愚を犯すまいと高らかな理想を語っているのだが。

「日本の世界征服を主張するものではない。或は、亜細亜統一を主張するものではない。かくの如きは、西欧民族の誤りを繰返すものに過ぎぬ。吾等の任務は、西欧民族に虐げられつつある国民を救済することで、決して西欧民族に代わって彼等を虐げることではない」



 しかし大川や日本はその西欧の二の舞をふんでいってしまうのである。理想は現実に抗われ、理想は現実に衝突し、現実を凌駕しようとして理想の押しつけや強制がおこなわれた。理想が当初から現実にはかなわないものではなかったのか。明治期や戦後昭和期の高度成長のような成功はかなわなかったのである。

 大川は西欧や白人の支配、強権からの解放を武力的な道にもとめたといえるが、戦後の経済発展がしめすようにそのような道をへなくても平和的経済成長によって欧米を凌駕することは可能であった。大川にはそのような道は見えなかったのだろうか。軍事的成功といった明治の夢をもう一度夢見たがゆえに、情勢が変わった時代に裏切られた、そう思わずにはいられない。

 国家目標が喪失したあとの転落は現代でもおなじように経験していることがらである。まるで現代は大正・昭和をへた精神や自尊心のありかたをそっくり踏襲しているかのようだ。現代の大川、国家の再興や復興をかかげた人物があらわれてきそうな状況はずっとつづいている。再興をかかげた人物とともに誤った道におちいる現代のシナリオを、大川周明の人生は語っているように思えるのである。


日本二千六百年史大川周明 アジア独立の夢 (平凡社新書)大川周明の大アジア主義復興亜細亜の諸問題 (中公文庫)

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